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田坂広志の「『志』を抱いて生きる」(2014.6.24)

田坂広志『未来を拓く君たちへ:なぜ、我々は「志」を抱いて生きるのか』くもん出版 2005年
抜粋編集/四木

田坂広志の「『志』を抱いて生きる」(2014.6.24)_b0320927_16365799.gif人間が人間と出会う、「奇跡の一瞬」

君は、気がついているだろうか。
この一瞬は、「奇跡の一瞬」。

我々の人生は、長くとも、百年。
それは、一三七億年という宇宙の歴史や、
四六億年という地球の歴史に比べるならば、
まさに「瞬き」をするほどの短い時間。
まさに「一瞬」と呼ぶべき、短い人生。

その一瞬の人生を生きる、一人の人間と、
一瞬の人生を生きる、もう一人の人間。
その二人の人生が、一冊の本を通じて出会った。

それは、一瞬と一瞬が重なった「奇跡の一瞬」。
君は、そのことに、気がついているだろうか。
この一瞬は、素晴らしい「奇跡の一瞬」。

自身の未来を切り拓くことによって、人類の未来を切り拓いていく

この本の主題は、「未来を拓く君たちへ」。
君は、これから「二つの未来」を切り拓いていく。

一つは、「自身の未来」。
君は、これからの人生の歩みを通して、自分自身の未来を切り拓いていく。

歩むべき方向を定め、道を切り拓くのは、君自身。
地図が無ければ、自分の力で地図を描き、道が無ければ、自分の力で道を切り拓く。
君は、そうやって、人生という名の山を登っていかなければならない。

君は、君自身の力で、君自身の未来を、切り拓いていかなければならない。

では、もう一つの未来とは、何か。
「人類の未来」だ。
君は、自身の未来を切り拓くことによって、人類の未来を切り拓いていく。
そのことを知っておいてほしい。

君が、自身の未来を切り拓くということは、実は、人類の未来を切り拓いていくということ。
君が、君の素晴らしい可能性を実現するということは、
そのことを通じて、人類全体が、一つの可能性を実現していくということ。

例えば、将来、科学者をめざそうと考えている君。
君が、素晴らしい科学者になるということは、
人類全体が、新しい科学や技術を生み出すことによって、
素晴らしい可能性を拓いていくということ。

例えば、将来、経営者をめざそうと考えている君。
君が、素晴らしい経営者になるということは、
人類全体が、新しい事業や産業を生み出すことによって、
素晴らしい可能性を拓いていくということ。

例えば、将来、芸術家をめざそうと考えている君。
君が、素晴らしい芸術家になるということは、
人類全体が、新しい芸術や文化を生み出すことによって、
素晴らしい可能性を拓いていくということ。

君は、自身の未来を切り拓くことによって、人類の未来を切り拓いていく。
そのことを知っておいてほしい。

では、どうすれば、君は、自身の未来を切り拓いていくことができるのか。
どうすれば、君は、目の前に聳え立つ、人生という名の山を、登っていくことができるのか。

そのために、決して忘れてはならないことを、伝えておこう。

「志」を抱いて生きる。

そのことを、決して忘れないでほしい。

それが、君が未来を切り拓いていくために、
この人生という名の山を登っていくために、最も大切なことだ。

では、「志」とは、何か。一言で述べておこう。

与えられた人生において、己のためだけでなく、多くの人々のために、そして、世の中のために、
大切な何かを成し遂げようとの決意。

それが「志」だ。
その「志」を抱いて生きる。そのことを、決して忘れないでほしい。

では、なぜ、我々は、「志」を抱いて生きるのか。
この本では、君に、そのことを語ろう。
だから、この本の副題は、「なぜ、我々は『志』を抱いて生きるのか」。
その理由について、君に語ろう。

その理由を知ることは、この人生という名の山の、登り方を知ること。
そして、それは、君の人生にとって、とても大切なこと。

だから、この本では、その山の登り方を語ろう。
君が、これから生涯をかけて登っていく、素晴らしい山。人生という名の、素晴らしい山。
いよいよ、これから、君の登山が始まる。
その登山を前に、独り、静かに、その山の頂を見上げてほしい。
これから何十年かの人生をかけて登り続け、いつの日か、君が立つ、山の頂。
その頂を、いま、心に刻んでほしい。

この本は、
その山の頂をめざして、いまも山道を登り続けている一人の人間からの、
心を込めたメッセージ。

・・・・・「序話 未来を拓く君たちへ」より


「何」を見つめて生きるか、その「志」が、「人生の意味」を定める

「大いなる人生」とは、
人類の「歴史」の大いなる流れの中で、自分の人生の「意味」を考えながら生きる人生のこと。

君は、自分の「人生の意味」を、考えたことがあるだろうか。
人類の大いなる歴史の流れの中で、自分の人生には、何の「意味」があるのか、と。

大切なことを知ってほしい。
「何」を成し遂げたか。それが、我々の「人生の意味」を定めるのではない。
「何」を見つめて生きたか。それが、我々の「人生の意味」を定める。

たとえ、一つの国家を建設した国王でも、
それが、ただ「自分の権勢を拡大したい」との思いだけで、成し遂げたものであるならば、
その人物の人生の意味は、単なる「エゴの衝動」。
ただ、自分のエゴに振り回されて生きたに過ぎない。

しかし、たとえ、日々、街の片隅で、ささやかな仕事に取り組んでいる人物でも、
もし、その人物が、広い世界を見つめ、遠い彼方を見つめて、仕事に取り組んでいるならば、
その人物の人生には、素晴らしい意味がある。

そのことを教えてくれる寓話がある。「二人の石切り職人」という寓話だ。
その寓話を、君に、紹介しよう

旅人が、ある町を通りかかりました。
その町では、新しい教会が建設されているところであり、
建設現場では、二人の石切り職人が働いていました。

その仕事に興味を待った旅人は、一人の石切り職人に聞きました。
あなたは、何をしているのですか。
その問いに対して、石切り職人は、不愉快そうな表情を浮かべ、ぶっきらぼうに答えました。
このいまいましい石を切るために、悪戦苦闘しているのさ。

そこで、旅人は、もう一人の石切り職人に、同じことを聞きました。
すると、その石切り職人は、表情を輝かせ、生き生きとした声で、こう答えたのです。
ええ、いま、私は、多くの人々の心の安らぎの場となる、素晴らしい教会を造っているのです。

この寓話を聞いて、君は、何を感じるだろうか。
この寓話は、大切なことを、我々に教えてくれる。

どのような仕事をしているか。それが、我々の「仕事の価値」を定めるのではない。

その仕事の彼方に、何を見つめているか。それが、我々の「仕事の価値」を定める。

この寓話は、そのことを教えてくれる。
そして、この寓話の教えるものを、「仕事」ではなく、「人生」に当てはめてみるならば、
もう一つの大切なことを、我々に教えてくれる。

どのような仕事を成し遂げたか。それが、我々の「人生の意味」を定めるのではない。
その仕事の彼方に、何を見つめていたか。それが、我々の「人生の意味」を定める。

この寓話は、そのことを教えてくれる。

だから、君に伝えたい。
「人生の意味」とは、君が「何」を成し遂げたかで、決まるのではない。
「何」を見つめて生きたか。それが、君の「人生の意味」を定める。

だから、たとえ、君が、日々、街の片隅で、ささやかな仕事に取り組む人生を送るとしても、
もし、君が、広い世界を見つめ、遠い彼方を見つめて、その仕事に取り組んでいるならば、
君の人生には、素晴らしい意味がある。

では、我々は、何を見つめて、生きるべきか。

「人類の歴史」を見つめて、生きる。

そのことの大切さを、忘れないでほしい。

それが、どれほどささやかな仕事であろうとも、
その仕事の彼方に、「人類の歴史」を見つめて、生きる。

そのことの大切さを、忘れないでほしい。

では、なぜ、「人類の歴史」を見つめることが、大切なのか。

君が、歴史の大いなる流れの中で、自分の人生の「意味」を考えようと思うならば、
人類の歴史の「意味」を考えなければならないからだ。

我々が、自分の人生の「意味」を考えるとき、
我々の問いは、かならず、人類の歴史の「意味」に向かう。

「なぜ、自分の人生が与えられたのか」という問いは、
「なぜ、人類の歴史が生まれたのか」という問いに向かう。

「自分の人生には、いかなる意味があるのか」という問いは、
「人類の歴史には、いかなる意味があるのか」という問いに向かう。

だから、君は、「歴史」を学はなければならない。
この地球上に人類の文明が生まれてから五千年。その五千年の歴史を学ぶこと。

しかし、もし、君が、
本当に「人類の歴史」の意味を知りたいならば、君が学ぶべきは、「人類の歴史」ではない。

「宇宙の歴史」だ。

こう述べると、君は驚くかもしれない。

しかし、「人類の歴史」そのものを学ぶだけでは、
我々は、「人類の歴史」の意味を知ることはできない。

その「人類の歴史」が、いかにして生まれたのか。
その「人類の歴史」が、なぜ、生まれたのか。
その「人類の歴史」は、どこに向かうのか。

そのことを学び、考えなければならない。

だから、君は、「人類の歴史」だけでなく、「宇宙の歴史」を学ばなければならない。

この宇宙は、いつ生まれたのか。一三七億年前だ。気の遠くなるほどの昔だ。
「一三七億年の旅路」。我々の生きる、この宇宙の物語だ。

では、その一三七億年前、この宇宙が生まれる前には、何があったのか。
何も無かった。
そこには、何も無かった。ただ、「真空」だけがあった。
そこには、まだ、時間も、空間も無く、ただ、真空だけがあった。

しかし、あるとき、この真空に、「ゆらぎ」が生じた。そして、そのゆらぎによって、
この真空が、大膨張を起こし、一瞬にして、この壮大な宇宙が生まれた。

こう述べると、君は、驚くかもしれない。
しかし、これは、決して、「宗教的な物語」を語っているのではない。
これは、まぎれもなく「科学の最先端の理論」だ。
これは、「インフレーション宇宙論」と呼ばれる、現代科学の最先端の理論に他ならない。
車椅子の天才科学者として有名な、スティーブン・ホーキング博士。
こうした科学者たちが、真剣に考えている理論だ。

では、その大膨張の後、何か起こったのか。「ビッグ・バン」だ。
真空から「インフレーション宇宙」が生まれた直後に、
その宇宙が、さらにビッグ・バン、すなわち大爆発を起こし、光の速さで、広がっていったのだ。

しかし、その生まれたばかりの宇宙は、最初、非常な高温の中にあり、「光」で満たされていた。
物理学の言葉で言えば「フォトン」「光子」で満たされていた。

しかし、この宇宙が光の速さで広がっていくにつれ、急激に温度が下がり、それに伴って、
この宇宙には、最も軽い元素である「水素」が生まれた。

これは、最初の歴史的瞬間だ。

「物質」の誕生。

「無」から生まれたこの宇宙が、「物質」を生み出した瞬間だ。

しかし、この物語は始まったばかりだ。

この宇宙に、無数に生まれた水素。その水素が、互いに重力で引き合い、
何億年もの歳月をかけて集った結果、生まれてきたのが、「恒星」だ。

この恒星の内部では、水素やヘリウムが核融合を起こし、膨大な熱を発生させているが、
同時に、その内部では、軽い元素同士が融合して、
炭素や酸素、珪素や鉄などの重い元素を生み出している。

そして、この恒星が、その寿命を終えるとき、「超新星」となって爆発し、
宇宙空間に、これらの元素を撒き散らし、それらがまた集って、新しい恒星を生み出していった。

夜空を見上げると目を奪われる、無数の星々の輝き。
それは、この宇宙に生まれた、無数の恒星の光に他ならない。

そして、これらの恒星の周辺には、いくつもの「惑星」が生まれ、その恒星の周りを回っている。

我々が、日々、空に仰ぐ「太陽」は、この宇宙に無数に存在する、そうした恒星の一つであり、
この太陽の周りを回る惑星の一つが、「地球」だ。

しかし、この地球という惑星は、「奇跡の惑星」でもあった。
なぜか。

「生命」の誕生。

その物語が始まったからだ。この惑星の上では、生命が生まれたからだ。

では、なぜ、地球に、生命が生まれたのか。
太陽から、最適の距離にあったからだ。
もし、地球が、もう少し太陽から遠ければ、火星と同じように、「氷結の惑星」となっていた。
そのため、その低温の環境では、高度な生命は生まれなかっただろう。
もし、地球が、もう少し太陽に近ければ、金星と同じように、「灼熱の惑星」となっていた。
そのため、その高温の環境では、やはり生命は生まれなかっただろう。

四六億年前に誕生した地球は、当初、マグマが噴き出す高温の惑星であった。
しかし、その地球が冷えていくにつれ、
大気中の水蒸気が、雨と成って降り注ぎ、原始の海が形成された。

そして、この原始の海の中で、
様々な元素が結合し、徐々に、蛋白質のような複雑な物質が、形成されていった。
そして、その複雑な物質から、あるとき、自己増殖をする「生命」が誕生したのだ。

いまからおよそ四十億年前と言われている。

蛋白質のような複雑な物質から、あるとき、バクテリアのような原始的な生命が生まれたのだ。

そして、さらに不思議な物語が続いた。

「生命」の進化。

まず、そのバクテリアが、藻類に進化し、
その藻類が、陸上に上がり、苔や羊歯(しだ)を経て、現在の植物へと進化していった。

一方、同じバクテリアから、原始的な節足動物や軟体動物が生まれ、
魚類、両生類へと進化していき、それらが陸上に上がることによって、
爬虫類や鳥類、さらには哺乳類へと進化していった。

しかし、こうした「生命の進化」の物語も、およそ二百万年前、
もう一つの不思議な物語へと向かっていった。

「精神」の誕生。

驚くべき物語だ。

二百万年前、哺乳類の中の霊長類から、現在の人類の祖先が生まれた。
この人類は、他の生物に比べれば、ひ弱な存在であったが、
それは、一つだけ異なった特長を持っていた。

「高度な精神」

人類は、直立で歩行し、大きな頭脳を持ち、高度な精神的活動を行うことのできる生物だった。
そして、人類は、この高度な精神を使って、
火を使うことを覚え、道具を作り、言葉を話すようになり、
遂に、五千年前、高度な文明を生み出した。

「人類の歴史」は、ようやく、そこから始まった。
そして、この五千年の歴史の中で、いま、我々が生きている、この国家や社会が生まれ、
政治や法律、経済や産業が生まれ、文化や伝統、科学や技術、芸術や思想が生まれてきた。

それが、この宇宙の物語。「一三七億年の旅路」の物語だ。

君は、この物語を聞いて、何を感じるだろうか。「不思議」を感じないだろうか。

なぜ、この宇宙が生まれたのか。
その宇宙が、なぜ、一三七億年もの悠久の歳月をかけ、
生命を生み出し、人類を生み出し、文明を生み出したのか。
なぜ、この宇宙は、その一三七億年の遥かな旅路を辿ってきたのか。

君は、その「不思議」を感じないだろうか。

では、なぜ、君に、この物語を話したのか。
君に、考えてほしいからだ。
大切な一つの問いを、考えてほしいからだ。

我々は、どこに向かうのか。

その問いを、君に、考えてほしいからだ。

天才両家、ゴーギャンの残した絵に、不思議な題名の作品がある。
「我々は、何処から来たのか。我々は、何者か。我々は、何処へ行くのか」

我々が、もし、「人類の歴史」の意味を考えようと思うならば、
このゴーギャンの言葉を、深く胸に抱き、考えてみるべきだろう。

「無」から生まれてきた、この壮大な宇宙。

その宇宙は、原初の時代に、「物質」を生み出した。
そして、その「物質」が複雑化する中で、「生命」が生まれた。
さらに、その「生命」が進化する中で、「精神」が生まれた。

そして、その「精神」は、二百万年をかけて、「文明」を生み出した。

その「文明」は、この五千年の歴史の中で、
様々な国家や政治や経済、文化や科学や芸術を生み出してきた。

しかし、その人類の「文明」は、五千年の歳月を経ても、
戦争や紛争、迫害や差別、飢餓や貧困に別れを告げることができず、
いまも、多くの人々は、苦しみと悲しみの中に、ある。

「では、我々人類は、どこに向かうのか。」

その問いは、そのまま、この問いでもある。

「では、我々の宇宙は、どこに向かうのか。」

なぜなら、
「我々人類の営みは、この宇宙の『一三七億年の旅路』の最先端にある営みだ」からだ。

そして、この問いを問うことは、「意味」を問うことでもある。

宇宙の歴史の「意味」は、何か。人類の歴史の「意味」は、何か。
そして、我々の人生の「意味」は、何か。


この問いは、人類の歴史の中で、多くの哲学者や思想家が問うてきた、最も深き問いだ。
そして、二人の優れた思想家が、その問いに対する、深い洞察と智恵を語っている。

人間は、自分が存在する「意味」を、人生から問いかけられている

一人は、実存主義の哲学者、ジャン・ポール・サルトル。
彼は、「実存は、本質に先立つ」という言葉を残した。

この宇宙の中で、人間という存在は、
何の目的で存在するかという「本質」は定まっていない。

それは、人間にとっての「生の不安」の根源でもあるが、
だから、人間は、自分の存在することの「意味」を、自由に決めることができる。
そして、そこに、人間の精神の「真の自由」がある。

その素晴らしい思想を残している。

もう一人は、心理学者のヴィクトール・フランクル。
ユダヤ人であった彼は、第二次世界大戦において、
ナチスドイツの手によって、アウシュビッツの収容所に送られ、
家族を虐殺され、自身も虐殺される直前に、奇跡の生還をした人物だ。

アウシュビッツとは、二〇世紀に人類が生み出した地獄。
その地獄の惨状を目撃し、人間性の極限を体験した彼が、
それにもかかわらず、人間の可能性を深く信じ、次の言葉を残している。

自分の人生の「意味」は、何か。
あなたは、人生に、その「意味」を問うべきではない。
そうではない。
人生が、あなたに、「意味」を問うている。あなたは、「人生」から、深く問いかけられている。
あなたの人生の「意味」は、何か。その問いを、問いかけられている。

このフランクルの言葉は、素晴らしい言葉だ。我々の魂を励ましてくれる、素晴らしい言葉だ。

だから、君は、誰に教えられるのでもなく、自らの力で、
君の人生の「意味」を、見出さなければならない。

なぜ、自分は、生まれてきたのか。
何のために、自分に、この人生が与えられたのか。

その「人生の意味」を、見出さなければならない。

しかし、それは、もとより、答えの無い問い。
ただ考えただけでは、決して、その「意味」を、見出すことはできないだろう。

しかし、君が、自らの力で、その「意味」を考え、そして、考え続けるならば、
いつか、かならず、君の心の中で、覚悟が定まり、その「人生の意味」が、結晶するときが来る。

そのとき、君は、気がつくだろう。

そこに、君の「志」が生まれたことに、気がつくだろう。

・・・・・「第四話 「大いなる人生」を生きるために」より





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by sogyo-syuppankai | 2014-06-24 16:43 | 立志創業人生づくり


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