田坂広志の「『志』を抱いて生きる」(2014.6.24)
田坂広志『未来を拓く君たちへ:なぜ、我々は「志」を抱いて生きるのか』くもん出版 2005年
抜粋編集/四木
人間が人間と出会う、「奇跡の一瞬」
君は、気がついているだろうか。
この一瞬は、「奇跡の一瞬」。
我々の人生は、長くとも、百年。
それは、一三七億年という宇宙の歴史や、
四六億年という地球の歴史に比べるならば、
まさに「瞬き」をするほどの短い時間。
まさに「一瞬」と呼ぶべき、短い人生。
その一瞬の人生を生きる、一人の人間と、
一瞬の人生を生きる、もう一人の人間。
その二人の人生が、一冊の本を通じて出会った。
それは、一瞬と一瞬が重なった「奇跡の一瞬」。
君は、そのことに、気がついているだろうか。
この一瞬は、素晴らしい「奇跡の一瞬」。
自身の未来を切り拓くことによって、人類の未来を切り拓いていく
この本の主題は、「未来を拓く君たちへ」。
君は、これから「二つの未来」を切り拓いていく。
一つは、「自身の未来」。
君は、これからの人生の歩みを通して、自分自身の未来を切り拓いていく。
歩むべき方向を定め、道を切り拓くのは、君自身。
地図が無ければ、自分の力で地図を描き、道が無ければ、自分の力で道を切り拓く。
君は、そうやって、人生という名の山を登っていかなければならない。
君は、君自身の力で、君自身の未来を、切り拓いていかなければならない。
では、もう一つの未来とは、何か。
「人類の未来」だ。
君は、自身の未来を切り拓くことによって、人類の未来を切り拓いていく。
そのことを知っておいてほしい。
君が、自身の未来を切り拓くということは、実は、人類の未来を切り拓いていくということ。
君が、君の素晴らしい可能性を実現するということは、
そのことを通じて、人類全体が、一つの可能性を実現していくということ。
例えば、将来、科学者をめざそうと考えている君。
君が、素晴らしい科学者になるということは、
人類全体が、新しい科学や技術を生み出すことによって、
素晴らしい可能性を拓いていくということ。
例えば、将来、経営者をめざそうと考えている君。
君が、素晴らしい経営者になるということは、
人類全体が、新しい事業や産業を生み出すことによって、
素晴らしい可能性を拓いていくということ。
例えば、将来、芸術家をめざそうと考えている君。
君が、素晴らしい芸術家になるということは、
人類全体が、新しい芸術や文化を生み出すことによって、
素晴らしい可能性を拓いていくということ。
君は、自身の未来を切り拓くことによって、人類の未来を切り拓いていく。
そのことを知っておいてほしい。
では、どうすれば、君は、自身の未来を切り拓いていくことができるのか。
どうすれば、君は、目の前に聳え立つ、人生という名の山を、登っていくことができるのか。
そのために、決して忘れてはならないことを、伝えておこう。
「志」を抱いて生きる。
そのことを、決して忘れないでほしい。
それが、君が未来を切り拓いていくために、
この人生という名の山を登っていくために、最も大切なことだ。
では、「志」とは、何か。一言で述べておこう。
与えられた人生において、己のためだけでなく、多くの人々のために、そして、世の中のために、
大切な何かを成し遂げようとの決意。
それが「志」だ。
その「志」を抱いて生きる。そのことを、決して忘れないでほしい。
では、なぜ、我々は、「志」を抱いて生きるのか。
この本では、君に、そのことを語ろう。
だから、この本の副題は、「なぜ、我々は『志』を抱いて生きるのか」。
その理由について、君に語ろう。
その理由を知ることは、この人生という名の山の、登り方を知ること。
そして、それは、君の人生にとって、とても大切なこと。
だから、この本では、その山の登り方を語ろう。
君が、これから生涯をかけて登っていく、素晴らしい山。人生という名の、素晴らしい山。
いよいよ、これから、君の登山が始まる。
その登山を前に、独り、静かに、その山の頂を見上げてほしい。
これから何十年かの人生をかけて登り続け、いつの日か、君が立つ、山の頂。
その頂を、いま、心に刻んでほしい。
この本は、
その山の頂をめざして、いまも山道を登り続けている一人の人間からの、
心を込めたメッセージ。
・・・・・「序話 未来を拓く君たちへ」より
「何」を見つめて生きるか、その「志」が、「人生の意味」を定める
「大いなる人生」とは、
人類の「歴史」の大いなる流れの中で、自分の人生の「意味」を考えながら生きる人生のこと。
君は、自分の「人生の意味」を、考えたことがあるだろうか。
人類の大いなる歴史の流れの中で、自分の人生には、何の「意味」があるのか、と。
大切なことを知ってほしい。
「何」を成し遂げたか。それが、我々の「人生の意味」を定めるのではない。
「何」を見つめて生きたか。それが、我々の「人生の意味」を定める。
たとえ、一つの国家を建設した国王でも、
それが、ただ「自分の権勢を拡大したい」との思いだけで、成し遂げたものであるならば、
その人物の人生の意味は、単なる「エゴの衝動」。
ただ、自分のエゴに振り回されて生きたに過ぎない。
しかし、たとえ、日々、街の片隅で、ささやかな仕事に取り組んでいる人物でも、
もし、その人物が、広い世界を見つめ、遠い彼方を見つめて、仕事に取り組んでいるならば、
その人物の人生には、素晴らしい意味がある。
そのことを教えてくれる寓話がある。「二人の石切り職人」という寓話だ。
その寓話を、君に、紹介しよう
旅人が、ある町を通りかかりました。
その町では、新しい教会が建設されているところであり、
建設現場では、二人の石切り職人が働いていました。
その仕事に興味を待った旅人は、一人の石切り職人に聞きました。
あなたは、何をしているのですか。
その問いに対して、石切り職人は、不愉快そうな表情を浮かべ、ぶっきらぼうに答えました。
このいまいましい石を切るために、悪戦苦闘しているのさ。
そこで、旅人は、もう一人の石切り職人に、同じことを聞きました。
すると、その石切り職人は、表情を輝かせ、生き生きとした声で、こう答えたのです。
ええ、いま、私は、多くの人々の心の安らぎの場となる、素晴らしい教会を造っているのです。
この寓話を聞いて、君は、何を感じるだろうか。
この寓話は、大切なことを、我々に教えてくれる。
どのような仕事をしているか。それが、我々の「仕事の価値」を定めるのではない。
その仕事の彼方に、何を見つめているか。それが、我々の「仕事の価値」を定める。
この寓話は、そのことを教えてくれる。
そして、この寓話の教えるものを、「仕事」ではなく、「人生」に当てはめてみるならば、
もう一つの大切なことを、我々に教えてくれる。
どのような仕事を成し遂げたか。それが、我々の「人生の意味」を定めるのではない。
その仕事の彼方に、何を見つめていたか。それが、我々の「人生の意味」を定める。
この寓話は、そのことを教えてくれる。
だから、君に伝えたい。
「人生の意味」とは、君が「何」を成し遂げたかで、決まるのではない。
「何」を見つめて生きたか。それが、君の「人生の意味」を定める。
だから、たとえ、君が、日々、街の片隅で、ささやかな仕事に取り組む人生を送るとしても、
もし、君が、広い世界を見つめ、遠い彼方を見つめて、その仕事に取り組んでいるならば、
君の人生には、素晴らしい意味がある。
では、我々は、何を見つめて、生きるべきか。
「人類の歴史」を見つめて、生きる。
そのことの大切さを、忘れないでほしい。
それが、どれほどささやかな仕事であろうとも、
その仕事の彼方に、「人類の歴史」を見つめて、生きる。
そのことの大切さを、忘れないでほしい。
では、なぜ、「人類の歴史」を見つめることが、大切なのか。
君が、歴史の大いなる流れの中で、自分の人生の「意味」を考えようと思うならば、
人類の歴史の「意味」を考えなければならないからだ。
我々が、自分の人生の「意味」を考えるとき、
我々の問いは、かならず、人類の歴史の「意味」に向かう。
「なぜ、自分の人生が与えられたのか」という問いは、
「なぜ、人類の歴史が生まれたのか」という問いに向かう。
「自分の人生には、いかなる意味があるのか」という問いは、
「人類の歴史には、いかなる意味があるのか」という問いに向かう。
だから、君は、「歴史」を学はなければならない。
この地球上に人類の文明が生まれてから五千年。その五千年の歴史を学ぶこと。
しかし、もし、君が、
本当に「人類の歴史」の意味を知りたいならば、君が学ぶべきは、「人類の歴史」ではない。
「宇宙の歴史」だ。
こう述べると、君は驚くかもしれない。
しかし、「人類の歴史」そのものを学ぶだけでは、
我々は、「人類の歴史」の意味を知ることはできない。
その「人類の歴史」が、いかにして生まれたのか。
その「人類の歴史」が、なぜ、生まれたのか。
その「人類の歴史」は、どこに向かうのか。
そのことを学び、考えなければならない。
だから、君は、「人類の歴史」だけでなく、「宇宙の歴史」を学ばなければならない。
この宇宙は、いつ生まれたのか。一三七億年前だ。気の遠くなるほどの昔だ。
「一三七億年の旅路」。我々の生きる、この宇宙の物語だ。
では、その一三七億年前、この宇宙が生まれる前には、何があったのか。
何も無かった。
そこには、何も無かった。ただ、「真空」だけがあった。
そこには、まだ、時間も、空間も無く、ただ、真空だけがあった。
しかし、あるとき、この真空に、「ゆらぎ」が生じた。そして、そのゆらぎによって、
この真空が、大膨張を起こし、一瞬にして、この壮大な宇宙が生まれた。
こう述べると、君は、驚くかもしれない。
しかし、これは、決して、「宗教的な物語」を語っているのではない。
これは、まぎれもなく「科学の最先端の理論」だ。
これは、「インフレーション宇宙論」と呼ばれる、現代科学の最先端の理論に他ならない。
車椅子の天才科学者として有名な、スティーブン・ホーキング博士。
こうした科学者たちが、真剣に考えている理論だ。
では、その大膨張の後、何か起こったのか。「ビッグ・バン」だ。
真空から「インフレーション宇宙」が生まれた直後に、
その宇宙が、さらにビッグ・バン、すなわち大爆発を起こし、光の速さで、広がっていったのだ。
しかし、その生まれたばかりの宇宙は、最初、非常な高温の中にあり、「光」で満たされていた。
物理学の言葉で言えば「フォトン」「光子」で満たされていた。
しかし、この宇宙が光の速さで広がっていくにつれ、急激に温度が下がり、それに伴って、
この宇宙には、最も軽い元素である「水素」が生まれた。
これは、最初の歴史的瞬間だ。
「物質」の誕生。
「無」から生まれたこの宇宙が、「物質」を生み出した瞬間だ。
しかし、この物語は始まったばかりだ。
この宇宙に、無数に生まれた水素。その水素が、互いに重力で引き合い、
何億年もの歳月をかけて集った結果、生まれてきたのが、「恒星」だ。
この恒星の内部では、水素やヘリウムが核融合を起こし、膨大な熱を発生させているが、
同時に、その内部では、軽い元素同士が融合して、
炭素や酸素、珪素や鉄などの重い元素を生み出している。
そして、この恒星が、その寿命を終えるとき、「超新星」となって爆発し、
宇宙空間に、これらの元素を撒き散らし、それらがまた集って、新しい恒星を生み出していった。
夜空を見上げると目を奪われる、無数の星々の輝き。
それは、この宇宙に生まれた、無数の恒星の光に他ならない。
そして、これらの恒星の周辺には、いくつもの「惑星」が生まれ、その恒星の周りを回っている。
我々が、日々、空に仰ぐ「太陽」は、この宇宙に無数に存在する、そうした恒星の一つであり、
この太陽の周りを回る惑星の一つが、「地球」だ。
しかし、この地球という惑星は、「奇跡の惑星」でもあった。
なぜか。
「生命」の誕生。
その物語が始まったからだ。この惑星の上では、生命が生まれたからだ。
では、なぜ、地球に、生命が生まれたのか。
太陽から、最適の距離にあったからだ。
もし、地球が、もう少し太陽から遠ければ、火星と同じように、「氷結の惑星」となっていた。
そのため、その低温の環境では、高度な生命は生まれなかっただろう。
もし、地球が、もう少し太陽に近ければ、金星と同じように、「灼熱の惑星」となっていた。
そのため、その高温の環境では、やはり生命は生まれなかっただろう。
四六億年前に誕生した地球は、当初、マグマが噴き出す高温の惑星であった。
しかし、その地球が冷えていくにつれ、
大気中の水蒸気が、雨と成って降り注ぎ、原始の海が形成された。
そして、この原始の海の中で、
様々な元素が結合し、徐々に、蛋白質のような複雑な物質が、形成されていった。
そして、その複雑な物質から、あるとき、自己増殖をする「生命」が誕生したのだ。
いまからおよそ四十億年前と言われている。
蛋白質のような複雑な物質から、あるとき、バクテリアのような原始的な生命が生まれたのだ。
そして、さらに不思議な物語が続いた。
「生命」の進化。
まず、そのバクテリアが、藻類に進化し、
その藻類が、陸上に上がり、苔や羊歯(しだ)を経て、現在の植物へと進化していった。
一方、同じバクテリアから、原始的な節足動物や軟体動物が生まれ、
魚類、両生類へと進化していき、それらが陸上に上がることによって、
爬虫類や鳥類、さらには哺乳類へと進化していった。
しかし、こうした「生命の進化」の物語も、およそ二百万年前、
もう一つの不思議な物語へと向かっていった。
「精神」の誕生。
驚くべき物語だ。
二百万年前、哺乳類の中の霊長類から、現在の人類の祖先が生まれた。
この人類は、他の生物に比べれば、ひ弱な存在であったが、
それは、一つだけ異なった特長を持っていた。
「高度な精神」
人類は、直立で歩行し、大きな頭脳を持ち、高度な精神的活動を行うことのできる生物だった。
そして、人類は、この高度な精神を使って、
火を使うことを覚え、道具を作り、言葉を話すようになり、
遂に、五千年前、高度な文明を生み出した。
「人類の歴史」は、ようやく、そこから始まった。
そして、この五千年の歴史の中で、いま、我々が生きている、この国家や社会が生まれ、
政治や法律、経済や産業が生まれ、文化や伝統、科学や技術、芸術や思想が生まれてきた。
それが、この宇宙の物語。「一三七億年の旅路」の物語だ。
君は、この物語を聞いて、何を感じるだろうか。「不思議」を感じないだろうか。
なぜ、この宇宙が生まれたのか。
その宇宙が、なぜ、一三七億年もの悠久の歳月をかけ、
生命を生み出し、人類を生み出し、文明を生み出したのか。
なぜ、この宇宙は、その一三七億年の遥かな旅路を辿ってきたのか。
君は、その「不思議」を感じないだろうか。
では、なぜ、君に、この物語を話したのか。
君に、考えてほしいからだ。
大切な一つの問いを、考えてほしいからだ。
我々は、どこに向かうのか。
その問いを、君に、考えてほしいからだ。
天才両家、ゴーギャンの残した絵に、不思議な題名の作品がある。
「我々は、何処から来たのか。我々は、何者か。我々は、何処へ行くのか」
我々が、もし、「人類の歴史」の意味を考えようと思うならば、
このゴーギャンの言葉を、深く胸に抱き、考えてみるべきだろう。
「無」から生まれてきた、この壮大な宇宙。
その宇宙は、原初の時代に、「物質」を生み出した。
そして、その「物質」が複雑化する中で、「生命」が生まれた。
さらに、その「生命」が進化する中で、「精神」が生まれた。
そして、その「精神」は、二百万年をかけて、「文明」を生み出した。
その「文明」は、この五千年の歴史の中で、
様々な国家や政治や経済、文化や科学や芸術を生み出してきた。
しかし、その人類の「文明」は、五千年の歳月を経ても、
戦争や紛争、迫害や差別、飢餓や貧困に別れを告げることができず、
いまも、多くの人々は、苦しみと悲しみの中に、ある。
「では、我々人類は、どこに向かうのか。」
その問いは、そのまま、この問いでもある。
「では、我々の宇宙は、どこに向かうのか。」
なぜなら、
「我々人類の営みは、この宇宙の『一三七億年の旅路』の最先端にある営みだ」からだ。
そして、この問いを問うことは、「意味」を問うことでもある。
宇宙の歴史の「意味」は、何か。人類の歴史の「意味」は、何か。
そして、我々の人生の「意味」は、何か。
この問いは、人類の歴史の中で、多くの哲学者や思想家が問うてきた、最も深き問いだ。
そして、二人の優れた思想家が、その問いに対する、深い洞察と智恵を語っている。
人間は、自分が存在する「意味」を、人生から問いかけられている
一人は、実存主義の哲学者、ジャン・ポール・サルトル。
彼は、「実存は、本質に先立つ」という言葉を残した。
この宇宙の中で、人間という存在は、
何の目的で存在するかという「本質」は定まっていない。
それは、人間にとっての「生の不安」の根源でもあるが、
だから、人間は、自分の存在することの「意味」を、自由に決めることができる。
そして、そこに、人間の精神の「真の自由」がある。
その素晴らしい思想を残している。
もう一人は、心理学者のヴィクトール・フランクル。
ユダヤ人であった彼は、第二次世界大戦において、
ナチスドイツの手によって、アウシュビッツの収容所に送られ、
家族を虐殺され、自身も虐殺される直前に、奇跡の生還をした人物だ。
アウシュビッツとは、二〇世紀に人類が生み出した地獄。
その地獄の惨状を目撃し、人間性の極限を体験した彼が、
それにもかかわらず、人間の可能性を深く信じ、次の言葉を残している。
自分の人生の「意味」は、何か。
あなたは、人生に、その「意味」を問うべきではない。
そうではない。
人生が、あなたに、「意味」を問うている。あなたは、「人生」から、深く問いかけられている。
あなたの人生の「意味」は、何か。その問いを、問いかけられている。
このフランクルの言葉は、素晴らしい言葉だ。我々の魂を励ましてくれる、素晴らしい言葉だ。
だから、君は、誰に教えられるのでもなく、自らの力で、
君の人生の「意味」を、見出さなければならない。
なぜ、自分は、生まれてきたのか。
何のために、自分に、この人生が与えられたのか。
その「人生の意味」を、見出さなければならない。
しかし、それは、もとより、答えの無い問い。
ただ考えただけでは、決して、その「意味」を、見出すことはできないだろう。
しかし、君が、自らの力で、その「意味」を考え、そして、考え続けるならば、
いつか、かならず、君の心の中で、覚悟が定まり、その「人生の意味」が、結晶するときが来る。
そのとき、君は、気がつくだろう。
そこに、君の「志」が生まれたことに、気がつくだろう。
・・・・・「第四話 「大いなる人生」を生きるために」より
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抜粋編集/四木
人間が人間と出会う、「奇跡の一瞬」
君は、気がついているだろうか。
この一瞬は、「奇跡の一瞬」。
我々の人生は、長くとも、百年。
それは、一三七億年という宇宙の歴史や、
四六億年という地球の歴史に比べるならば、
まさに「瞬き」をするほどの短い時間。
まさに「一瞬」と呼ぶべき、短い人生。
その一瞬の人生を生きる、一人の人間と、
一瞬の人生を生きる、もう一人の人間。
その二人の人生が、一冊の本を通じて出会った。
それは、一瞬と一瞬が重なった「奇跡の一瞬」。
君は、そのことに、気がついているだろうか。
この一瞬は、素晴らしい「奇跡の一瞬」。
自身の未来を切り拓くことによって、人類の未来を切り拓いていく
この本の主題は、「未来を拓く君たちへ」。
君は、これから「二つの未来」を切り拓いていく。
一つは、「自身の未来」。
君は、これからの人生の歩みを通して、自分自身の未来を切り拓いていく。
歩むべき方向を定め、道を切り拓くのは、君自身。
地図が無ければ、自分の力で地図を描き、道が無ければ、自分の力で道を切り拓く。
君は、そうやって、人生という名の山を登っていかなければならない。
君は、君自身の力で、君自身の未来を、切り拓いていかなければならない。
では、もう一つの未来とは、何か。
「人類の未来」だ。
君は、自身の未来を切り拓くことによって、人類の未来を切り拓いていく。
そのことを知っておいてほしい。
君が、自身の未来を切り拓くということは、実は、人類の未来を切り拓いていくということ。
君が、君の素晴らしい可能性を実現するということは、
そのことを通じて、人類全体が、一つの可能性を実現していくということ。
例えば、将来、科学者をめざそうと考えている君。
君が、素晴らしい科学者になるということは、
人類全体が、新しい科学や技術を生み出すことによって、
素晴らしい可能性を拓いていくということ。
例えば、将来、経営者をめざそうと考えている君。
君が、素晴らしい経営者になるということは、
人類全体が、新しい事業や産業を生み出すことによって、
素晴らしい可能性を拓いていくということ。
例えば、将来、芸術家をめざそうと考えている君。
君が、素晴らしい芸術家になるということは、
人類全体が、新しい芸術や文化を生み出すことによって、
素晴らしい可能性を拓いていくということ。
君は、自身の未来を切り拓くことによって、人類の未来を切り拓いていく。
そのことを知っておいてほしい。
では、どうすれば、君は、自身の未来を切り拓いていくことができるのか。
どうすれば、君は、目の前に聳え立つ、人生という名の山を、登っていくことができるのか。
そのために、決して忘れてはならないことを、伝えておこう。
「志」を抱いて生きる。
そのことを、決して忘れないでほしい。
それが、君が未来を切り拓いていくために、
この人生という名の山を登っていくために、最も大切なことだ。
では、「志」とは、何か。一言で述べておこう。
与えられた人生において、己のためだけでなく、多くの人々のために、そして、世の中のために、
大切な何かを成し遂げようとの決意。
それが「志」だ。
その「志」を抱いて生きる。そのことを、決して忘れないでほしい。
では、なぜ、我々は、「志」を抱いて生きるのか。
この本では、君に、そのことを語ろう。
だから、この本の副題は、「なぜ、我々は『志』を抱いて生きるのか」。
その理由について、君に語ろう。
その理由を知ることは、この人生という名の山の、登り方を知ること。
そして、それは、君の人生にとって、とても大切なこと。
だから、この本では、その山の登り方を語ろう。
君が、これから生涯をかけて登っていく、素晴らしい山。人生という名の、素晴らしい山。
いよいよ、これから、君の登山が始まる。
その登山を前に、独り、静かに、その山の頂を見上げてほしい。
これから何十年かの人生をかけて登り続け、いつの日か、君が立つ、山の頂。
その頂を、いま、心に刻んでほしい。
この本は、
その山の頂をめざして、いまも山道を登り続けている一人の人間からの、
心を込めたメッセージ。
・・・・・「序話 未来を拓く君たちへ」より
「何」を見つめて生きるか、その「志」が、「人生の意味」を定める
「大いなる人生」とは、
人類の「歴史」の大いなる流れの中で、自分の人生の「意味」を考えながら生きる人生のこと。
君は、自分の「人生の意味」を、考えたことがあるだろうか。
人類の大いなる歴史の流れの中で、自分の人生には、何の「意味」があるのか、と。
大切なことを知ってほしい。
「何」を成し遂げたか。それが、我々の「人生の意味」を定めるのではない。
「何」を見つめて生きたか。それが、我々の「人生の意味」を定める。
たとえ、一つの国家を建設した国王でも、
それが、ただ「自分の権勢を拡大したい」との思いだけで、成し遂げたものであるならば、
その人物の人生の意味は、単なる「エゴの衝動」。
ただ、自分のエゴに振り回されて生きたに過ぎない。
しかし、たとえ、日々、街の片隅で、ささやかな仕事に取り組んでいる人物でも、
もし、その人物が、広い世界を見つめ、遠い彼方を見つめて、仕事に取り組んでいるならば、
その人物の人生には、素晴らしい意味がある。
そのことを教えてくれる寓話がある。「二人の石切り職人」という寓話だ。
その寓話を、君に、紹介しよう
旅人が、ある町を通りかかりました。
その町では、新しい教会が建設されているところであり、
建設現場では、二人の石切り職人が働いていました。
その仕事に興味を待った旅人は、一人の石切り職人に聞きました。
あなたは、何をしているのですか。
その問いに対して、石切り職人は、不愉快そうな表情を浮かべ、ぶっきらぼうに答えました。
このいまいましい石を切るために、悪戦苦闘しているのさ。
そこで、旅人は、もう一人の石切り職人に、同じことを聞きました。
すると、その石切り職人は、表情を輝かせ、生き生きとした声で、こう答えたのです。
ええ、いま、私は、多くの人々の心の安らぎの場となる、素晴らしい教会を造っているのです。
この寓話を聞いて、君は、何を感じるだろうか。
この寓話は、大切なことを、我々に教えてくれる。
どのような仕事をしているか。それが、我々の「仕事の価値」を定めるのではない。
その仕事の彼方に、何を見つめているか。それが、我々の「仕事の価値」を定める。
この寓話は、そのことを教えてくれる。
そして、この寓話の教えるものを、「仕事」ではなく、「人生」に当てはめてみるならば、
もう一つの大切なことを、我々に教えてくれる。
どのような仕事を成し遂げたか。それが、我々の「人生の意味」を定めるのではない。
その仕事の彼方に、何を見つめていたか。それが、我々の「人生の意味」を定める。
この寓話は、そのことを教えてくれる。
だから、君に伝えたい。
「人生の意味」とは、君が「何」を成し遂げたかで、決まるのではない。
「何」を見つめて生きたか。それが、君の「人生の意味」を定める。
だから、たとえ、君が、日々、街の片隅で、ささやかな仕事に取り組む人生を送るとしても、
もし、君が、広い世界を見つめ、遠い彼方を見つめて、その仕事に取り組んでいるならば、
君の人生には、素晴らしい意味がある。
では、我々は、何を見つめて、生きるべきか。
「人類の歴史」を見つめて、生きる。
そのことの大切さを、忘れないでほしい。
それが、どれほどささやかな仕事であろうとも、
その仕事の彼方に、「人類の歴史」を見つめて、生きる。
そのことの大切さを、忘れないでほしい。
では、なぜ、「人類の歴史」を見つめることが、大切なのか。
君が、歴史の大いなる流れの中で、自分の人生の「意味」を考えようと思うならば、
人類の歴史の「意味」を考えなければならないからだ。
我々が、自分の人生の「意味」を考えるとき、
我々の問いは、かならず、人類の歴史の「意味」に向かう。
「なぜ、自分の人生が与えられたのか」という問いは、
「なぜ、人類の歴史が生まれたのか」という問いに向かう。
「自分の人生には、いかなる意味があるのか」という問いは、
「人類の歴史には、いかなる意味があるのか」という問いに向かう。
だから、君は、「歴史」を学はなければならない。
この地球上に人類の文明が生まれてから五千年。その五千年の歴史を学ぶこと。
しかし、もし、君が、
本当に「人類の歴史」の意味を知りたいならば、君が学ぶべきは、「人類の歴史」ではない。
「宇宙の歴史」だ。
こう述べると、君は驚くかもしれない。
しかし、「人類の歴史」そのものを学ぶだけでは、
我々は、「人類の歴史」の意味を知ることはできない。
その「人類の歴史」が、いかにして生まれたのか。
その「人類の歴史」が、なぜ、生まれたのか。
その「人類の歴史」は、どこに向かうのか。
そのことを学び、考えなければならない。
だから、君は、「人類の歴史」だけでなく、「宇宙の歴史」を学ばなければならない。
この宇宙は、いつ生まれたのか。一三七億年前だ。気の遠くなるほどの昔だ。
「一三七億年の旅路」。我々の生きる、この宇宙の物語だ。
では、その一三七億年前、この宇宙が生まれる前には、何があったのか。
何も無かった。
そこには、何も無かった。ただ、「真空」だけがあった。
そこには、まだ、時間も、空間も無く、ただ、真空だけがあった。
しかし、あるとき、この真空に、「ゆらぎ」が生じた。そして、そのゆらぎによって、
この真空が、大膨張を起こし、一瞬にして、この壮大な宇宙が生まれた。
こう述べると、君は、驚くかもしれない。
しかし、これは、決して、「宗教的な物語」を語っているのではない。
これは、まぎれもなく「科学の最先端の理論」だ。
これは、「インフレーション宇宙論」と呼ばれる、現代科学の最先端の理論に他ならない。
車椅子の天才科学者として有名な、スティーブン・ホーキング博士。
こうした科学者たちが、真剣に考えている理論だ。
では、その大膨張の後、何か起こったのか。「ビッグ・バン」だ。
真空から「インフレーション宇宙」が生まれた直後に、
その宇宙が、さらにビッグ・バン、すなわち大爆発を起こし、光の速さで、広がっていったのだ。
しかし、その生まれたばかりの宇宙は、最初、非常な高温の中にあり、「光」で満たされていた。
物理学の言葉で言えば「フォトン」「光子」で満たされていた。
しかし、この宇宙が光の速さで広がっていくにつれ、急激に温度が下がり、それに伴って、
この宇宙には、最も軽い元素である「水素」が生まれた。
これは、最初の歴史的瞬間だ。
「物質」の誕生。
「無」から生まれたこの宇宙が、「物質」を生み出した瞬間だ。
しかし、この物語は始まったばかりだ。
この宇宙に、無数に生まれた水素。その水素が、互いに重力で引き合い、
何億年もの歳月をかけて集った結果、生まれてきたのが、「恒星」だ。
この恒星の内部では、水素やヘリウムが核融合を起こし、膨大な熱を発生させているが、
同時に、その内部では、軽い元素同士が融合して、
炭素や酸素、珪素や鉄などの重い元素を生み出している。
そして、この恒星が、その寿命を終えるとき、「超新星」となって爆発し、
宇宙空間に、これらの元素を撒き散らし、それらがまた集って、新しい恒星を生み出していった。
夜空を見上げると目を奪われる、無数の星々の輝き。
それは、この宇宙に生まれた、無数の恒星の光に他ならない。
そして、これらの恒星の周辺には、いくつもの「惑星」が生まれ、その恒星の周りを回っている。
我々が、日々、空に仰ぐ「太陽」は、この宇宙に無数に存在する、そうした恒星の一つであり、
この太陽の周りを回る惑星の一つが、「地球」だ。
しかし、この地球という惑星は、「奇跡の惑星」でもあった。
なぜか。
「生命」の誕生。
その物語が始まったからだ。この惑星の上では、生命が生まれたからだ。
では、なぜ、地球に、生命が生まれたのか。
太陽から、最適の距離にあったからだ。
もし、地球が、もう少し太陽から遠ければ、火星と同じように、「氷結の惑星」となっていた。
そのため、その低温の環境では、高度な生命は生まれなかっただろう。
もし、地球が、もう少し太陽に近ければ、金星と同じように、「灼熱の惑星」となっていた。
そのため、その高温の環境では、やはり生命は生まれなかっただろう。
四六億年前に誕生した地球は、当初、マグマが噴き出す高温の惑星であった。
しかし、その地球が冷えていくにつれ、
大気中の水蒸気が、雨と成って降り注ぎ、原始の海が形成された。
そして、この原始の海の中で、
様々な元素が結合し、徐々に、蛋白質のような複雑な物質が、形成されていった。
そして、その複雑な物質から、あるとき、自己増殖をする「生命」が誕生したのだ。
いまからおよそ四十億年前と言われている。
蛋白質のような複雑な物質から、あるとき、バクテリアのような原始的な生命が生まれたのだ。
そして、さらに不思議な物語が続いた。
「生命」の進化。
まず、そのバクテリアが、藻類に進化し、
その藻類が、陸上に上がり、苔や羊歯(しだ)を経て、現在の植物へと進化していった。
一方、同じバクテリアから、原始的な節足動物や軟体動物が生まれ、
魚類、両生類へと進化していき、それらが陸上に上がることによって、
爬虫類や鳥類、さらには哺乳類へと進化していった。
しかし、こうした「生命の進化」の物語も、およそ二百万年前、
もう一つの不思議な物語へと向かっていった。
「精神」の誕生。
驚くべき物語だ。
二百万年前、哺乳類の中の霊長類から、現在の人類の祖先が生まれた。
この人類は、他の生物に比べれば、ひ弱な存在であったが、
それは、一つだけ異なった特長を持っていた。
「高度な精神」
人類は、直立で歩行し、大きな頭脳を持ち、高度な精神的活動を行うことのできる生物だった。
そして、人類は、この高度な精神を使って、
火を使うことを覚え、道具を作り、言葉を話すようになり、
遂に、五千年前、高度な文明を生み出した。
「人類の歴史」は、ようやく、そこから始まった。
そして、この五千年の歴史の中で、いま、我々が生きている、この国家や社会が生まれ、
政治や法律、経済や産業が生まれ、文化や伝統、科学や技術、芸術や思想が生まれてきた。
それが、この宇宙の物語。「一三七億年の旅路」の物語だ。
君は、この物語を聞いて、何を感じるだろうか。「不思議」を感じないだろうか。
なぜ、この宇宙が生まれたのか。
その宇宙が、なぜ、一三七億年もの悠久の歳月をかけ、
生命を生み出し、人類を生み出し、文明を生み出したのか。
なぜ、この宇宙は、その一三七億年の遥かな旅路を辿ってきたのか。
君は、その「不思議」を感じないだろうか。
では、なぜ、君に、この物語を話したのか。
君に、考えてほしいからだ。
大切な一つの問いを、考えてほしいからだ。
我々は、どこに向かうのか。
その問いを、君に、考えてほしいからだ。
天才両家、ゴーギャンの残した絵に、不思議な題名の作品がある。
「我々は、何処から来たのか。我々は、何者か。我々は、何処へ行くのか」
我々が、もし、「人類の歴史」の意味を考えようと思うならば、
このゴーギャンの言葉を、深く胸に抱き、考えてみるべきだろう。
「無」から生まれてきた、この壮大な宇宙。
その宇宙は、原初の時代に、「物質」を生み出した。
そして、その「物質」が複雑化する中で、「生命」が生まれた。
さらに、その「生命」が進化する中で、「精神」が生まれた。
そして、その「精神」は、二百万年をかけて、「文明」を生み出した。
その「文明」は、この五千年の歴史の中で、
様々な国家や政治や経済、文化や科学や芸術を生み出してきた。
しかし、その人類の「文明」は、五千年の歳月を経ても、
戦争や紛争、迫害や差別、飢餓や貧困に別れを告げることができず、
いまも、多くの人々は、苦しみと悲しみの中に、ある。
「では、我々人類は、どこに向かうのか。」
その問いは、そのまま、この問いでもある。
「では、我々の宇宙は、どこに向かうのか。」
なぜなら、
「我々人類の営みは、この宇宙の『一三七億年の旅路』の最先端にある営みだ」からだ。
そして、この問いを問うことは、「意味」を問うことでもある。
宇宙の歴史の「意味」は、何か。人類の歴史の「意味」は、何か。
そして、我々の人生の「意味」は、何か。
この問いは、人類の歴史の中で、多くの哲学者や思想家が問うてきた、最も深き問いだ。
そして、二人の優れた思想家が、その問いに対する、深い洞察と智恵を語っている。
人間は、自分が存在する「意味」を、人生から問いかけられている
一人は、実存主義の哲学者、ジャン・ポール・サルトル。
彼は、「実存は、本質に先立つ」という言葉を残した。
この宇宙の中で、人間という存在は、
何の目的で存在するかという「本質」は定まっていない。
それは、人間にとっての「生の不安」の根源でもあるが、
だから、人間は、自分の存在することの「意味」を、自由に決めることができる。
そして、そこに、人間の精神の「真の自由」がある。
その素晴らしい思想を残している。
もう一人は、心理学者のヴィクトール・フランクル。
ユダヤ人であった彼は、第二次世界大戦において、
ナチスドイツの手によって、アウシュビッツの収容所に送られ、
家族を虐殺され、自身も虐殺される直前に、奇跡の生還をした人物だ。
アウシュビッツとは、二〇世紀に人類が生み出した地獄。
その地獄の惨状を目撃し、人間性の極限を体験した彼が、
それにもかかわらず、人間の可能性を深く信じ、次の言葉を残している。
自分の人生の「意味」は、何か。
あなたは、人生に、その「意味」を問うべきではない。
そうではない。
人生が、あなたに、「意味」を問うている。あなたは、「人生」から、深く問いかけられている。
あなたの人生の「意味」は、何か。その問いを、問いかけられている。
このフランクルの言葉は、素晴らしい言葉だ。我々の魂を励ましてくれる、素晴らしい言葉だ。
だから、君は、誰に教えられるのでもなく、自らの力で、
君の人生の「意味」を、見出さなければならない。
なぜ、自分は、生まれてきたのか。
何のために、自分に、この人生が与えられたのか。
その「人生の意味」を、見出さなければならない。
しかし、それは、もとより、答えの無い問い。
ただ考えただけでは、決して、その「意味」を、見出すことはできないだろう。
しかし、君が、自らの力で、その「意味」を考え、そして、考え続けるならば、
いつか、かならず、君の心の中で、覚悟が定まり、その「人生の意味」が、結晶するときが来る。
そのとき、君は、気がつくだろう。
そこに、君の「志」が生まれたことに、気がつくだろう。
・・・・・「第四話 「大いなる人生」を生きるために」より
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by sogyo-syuppankai
| 2014-06-24 16:43
| 立志創業人生づくり
渋沢栄一の「大立志と小立志の心得」(2014.5.15)
渋沢栄一述『論語と算盤』大和出版 1992年(底本:忠誠堂版1927年)
抜粋編集/四木
青年の立志:一生涯に歩むべき道
余は十七歳の時武士になりたいとの志を立てた。というのは、その頃の実業家は一途に百姓町人と卑下されて、世の中からはほとんど人間以下の取り扱いを受け、いわゆる歯牙にもかけられぬという有様であった。しかして家柄というものが無闇に重んぜられ、武門に生れさえすれば智能のない人間でも、社会の上位を占めてほしいままに権勢を張ることが出来たのであるが、余はそもそもこれがはなはだ癪(しゃく)に障り、同じく人間と生れ出た甲斐には、何が何でも武士にならなくては駄目であると考えた。その頃、余は少しく漢学を修めていたのであったが、日本外史などを読むにつけ、政権が朝廷から武門に移った経路を審(つまびら)かにするようになってからは、そこに慷慨(こうがい)の気というような分子も生じて、百姓町人として終るのがいかにも情けなく感ぜられ、いよいよ武士になろうという念を一層強めた。しかしてその目的も武士になってみたいというくらいの単純なものでは無かった。武士となると同時に、当時の政体をどうにか動かすことは出来ないものであろうか、今日の言葉を借りていえば、政治家として国政に参与してみたいという大望を抱いたのであったが、そもそもこれが郷里を離れて四方を流浪するという間違いをしでかした原因であった。かくて後年、大蔵省に出仕するまでの十数年間というものは、余が今日の位置から見れば、ほとんど無意味に空費したようなものであったから、今このことを追憶するだになお痛恨に堪えぬ次第である。
自白すれば、余の志は青年期においてしばしば動いた。最後に実業界に身を立てようと志したのがようやく明治四、五年の頃のことで、今日より追想すればこの時が余にとって真の立志であったと思う。元来自己の性質才能から考えてみても、政界に身を投じようなどとは、むしろ短所に向って突進するようなものだと、この時ようやく気がついたのであったが、それと同時に感じたことは、欧米諸邦が当時の如き隆昌を致したのは、全く商工業の発達している所以(ゆえん)である、日本も現状のままを維持するだけでは、いつの世か彼等と比肩し得るの時代が来よう、国家の為に商工業の発達を図りたい、という考えが起こって、ここに初めて実業界の人となろうとの決心が着いたのであった。しかしてこの時の立志が後の四十余年を一貫して変ぜずに来たのであるから、余にとっての真の立志はこの時であったのだ。
顧(おも)うにそれ以前の立志は、自分の才能に不相応な、身の程を知らぬ立志であったから、しばしば変動を余儀なくされたに相異ない。それと同時にその後の立志が、四十余年を通じて不変のものであったところからみれば、これこそ真に自分の素質にも協(かな)い、才能にも応じた立志であったことが窺い知られるのである。しかしながらもし自分に己を知るの明があって、十五、六歳の頃から本当の志が立ち、初めから商工業に向って行っていたならば、後年実業界に踏み込んだ三十歳頃までには、十四、五年の長日月があったのであるから、その間には商工業に関する素養も十分に積むことが出未たに相違なかろう。仮りにそうであったとすれば、あるいは実業界における現在の渋沢以上の渋沢を見出されるようになったかも知れないけれども、惜しいかな、青年時代の客気に誤られて、肝腎の修養期を全く方向違いの仕事に徒費してしまった。これにつけてもまさに志を立てんとする青年は、よろしく前車の覆轍を以て後車の戒めとするがよいと思う。
大立志と小立志の調和
生れながらの聖人なら知らぬこと、我々凡人は志を立てるに当って、とかく迷い易いのが常である。あるいは眼前社会の風潮に動かされ、あるいは一時周囲の事情に制せられて、自分の本領でもない方面へうかうかと乗り出す者が多いようであるけれども、これでは真に志を立てた者とはいわれない。殊に今日の如く世の中が秩序立って来ては、一度立てた志を中途から他に転ずるなどのことがあっては非常の不利益が伴うから、立志の当初最も慎重に意を用うるの必要がある。その工夫としては先ず自己の頭脳を冷静にし、しかる後自分の長所とするところ、短所とするところを精細に比較考察し、その最も長ずるところに向うて志を定めるがよい。またそれと同時に、自分の境遇がその志を遂ぐることを許すや否やを深く考慮することも必要で、例えば、身体も強壮、頭脳も明晰であるから、学問で一生を送りたいとの志を立てても、これに資力が伴わなければ、思うようにやり遂げることは困難であるというようなこともあるから、これならばいずれから見ても、一生を貫いてやることが出来るという確かな見込みの立ったところで、初めてその方針を確定するがよい。しかるにさほどまでの熟慮考察を経ずして、ちょっとした世間の景気に乗じ、うかと志を立てて駆け出すような者もよくあるけれども、これでは到底末の遂げられるものではないと思う。
すでに根幹となるべき志が立ったならば、今度はその枝葉となるべき小さな立志について、日々工夫することが必要である。何人でも時々事物に接して起こる希望があろうが、それに対しどうかしてその希望を遂げたいという観念を抱くのも一種の立志で、余がいわゆる小さな立志とは即ちそれである。一例を挙げて説明すれば、某氏はある行いによって世間から尊敬されるようになったが、自分もどうかしてああいう風になりたいとの希望を起こすが如き、これもまた一つの小立志である。しからばこの小立志に対してはいかなる工夫をめぐらすべきかというに、先ずその要件は、どこまでも一生を通じての大なる立志に戻らぬ範囲において工夫することが肝要である。また小なる立志はその性質上常に変動遷移するものであるから、この変動や遷移によって大なる立志を動かすことのないようにするだけの用意が必要である。つまり大なる立志と小さい立志と矛盾するようなことかあってはならぬ。この両者は常に調和し一致するを要するものである。
以上述ぶるところは主として立志の工夫であるが、古人はいかに立志をしたものであるか、参考として孔子の立志について研究してみよう。
孔子の立志:十有五にして学に志し、三十にして立ち
自分が平素、処世上の規矩(きく)としておる論語を通じて孔子の立志を窺うに『十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る云云』とあるところより推測すれば、孔子は十五歳の時すでに志を立てられたものと思われる。しかしながらその『学に志す』といわれたのは、学問を以て一生を過すつもりであるという志を固め定めたものかどうか、これはやや疑問とするところで、ただこれから大いに学問しなければならぬというくらいに考えたものではなかろうか。さらに進んで『三十にして立つ』といわれたのは、この時すでに世に立って行けるだけの人物となり、修身斉家治国平天下の技倆ありと自信する境地に達せられたのであろう。なお『四十にして惑わず』とあるより想像すれば、一度立てた志を持ちて世に処するにあたり、外界の刺激ぐらいでは決してその志は動かされぬという境域に入って、どこまでも自信ある行動が執れるようになったというのであろうから、ここに至って立志がようやく実を結び、且つ固まってしまったということが出来るだろう。してみれば孔子の立志は十五歳から三十歳の間にあったように思われる。学に志すといわれた頃は、まだ幾分志が動揺していたらしいが、三十歳に至ってやや決心の程が見え、四十歳に及んで初めて立志が完成されたようである。
これを要するに、立志は人生という建築の骨子で、小立志はその修飾であるから、最初にそれらの組み合せをしかと考えてかからなければ、後日に至ってせっかくの建築が半途で毀(こわ)れるようなことにならぬとも限らぬ。かくの如く立志は人生にとって大切の出発点であるから、何人も軽々に看過することは出来ぬのである。立志の要はよく己を知り、身の程を考え、それに応じて適当な方針を決定する以外にないのである。誰もよくその程を計って進むように心がくるならば、人生の行路において間違いの起こる筈は万々ないことと信ずる。
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抜粋編集/四木
青年の立志:一生涯に歩むべき道
余は十七歳の時武士になりたいとの志を立てた。というのは、その頃の実業家は一途に百姓町人と卑下されて、世の中からはほとんど人間以下の取り扱いを受け、いわゆる歯牙にもかけられぬという有様であった。しかして家柄というものが無闇に重んぜられ、武門に生れさえすれば智能のない人間でも、社会の上位を占めてほしいままに権勢を張ることが出来たのであるが、余はそもそもこれがはなはだ癪(しゃく)に障り、同じく人間と生れ出た甲斐には、何が何でも武士にならなくては駄目であると考えた。その頃、余は少しく漢学を修めていたのであったが、日本外史などを読むにつけ、政権が朝廷から武門に移った経路を審(つまびら)かにするようになってからは、そこに慷慨(こうがい)の気というような分子も生じて、百姓町人として終るのがいかにも情けなく感ぜられ、いよいよ武士になろうという念を一層強めた。しかしてその目的も武士になってみたいというくらいの単純なものでは無かった。武士となると同時に、当時の政体をどうにか動かすことは出来ないものであろうか、今日の言葉を借りていえば、政治家として国政に参与してみたいという大望を抱いたのであったが、そもそもこれが郷里を離れて四方を流浪するという間違いをしでかした原因であった。かくて後年、大蔵省に出仕するまでの十数年間というものは、余が今日の位置から見れば、ほとんど無意味に空費したようなものであったから、今このことを追憶するだになお痛恨に堪えぬ次第である。
自白すれば、余の志は青年期においてしばしば動いた。最後に実業界に身を立てようと志したのがようやく明治四、五年の頃のことで、今日より追想すればこの時が余にとって真の立志であったと思う。元来自己の性質才能から考えてみても、政界に身を投じようなどとは、むしろ短所に向って突進するようなものだと、この時ようやく気がついたのであったが、それと同時に感じたことは、欧米諸邦が当時の如き隆昌を致したのは、全く商工業の発達している所以(ゆえん)である、日本も現状のままを維持するだけでは、いつの世か彼等と比肩し得るの時代が来よう、国家の為に商工業の発達を図りたい、という考えが起こって、ここに初めて実業界の人となろうとの決心が着いたのであった。しかしてこの時の立志が後の四十余年を一貫して変ぜずに来たのであるから、余にとっての真の立志はこの時であったのだ。
顧(おも)うにそれ以前の立志は、自分の才能に不相応な、身の程を知らぬ立志であったから、しばしば変動を余儀なくされたに相異ない。それと同時にその後の立志が、四十余年を通じて不変のものであったところからみれば、これこそ真に自分の素質にも協(かな)い、才能にも応じた立志であったことが窺い知られるのである。しかしながらもし自分に己を知るの明があって、十五、六歳の頃から本当の志が立ち、初めから商工業に向って行っていたならば、後年実業界に踏み込んだ三十歳頃までには、十四、五年の長日月があったのであるから、その間には商工業に関する素養も十分に積むことが出未たに相違なかろう。仮りにそうであったとすれば、あるいは実業界における現在の渋沢以上の渋沢を見出されるようになったかも知れないけれども、惜しいかな、青年時代の客気に誤られて、肝腎の修養期を全く方向違いの仕事に徒費してしまった。これにつけてもまさに志を立てんとする青年は、よろしく前車の覆轍を以て後車の戒めとするがよいと思う。
大立志と小立志の調和
生れながらの聖人なら知らぬこと、我々凡人は志を立てるに当って、とかく迷い易いのが常である。あるいは眼前社会の風潮に動かされ、あるいは一時周囲の事情に制せられて、自分の本領でもない方面へうかうかと乗り出す者が多いようであるけれども、これでは真に志を立てた者とはいわれない。殊に今日の如く世の中が秩序立って来ては、一度立てた志を中途から他に転ずるなどのことがあっては非常の不利益が伴うから、立志の当初最も慎重に意を用うるの必要がある。その工夫としては先ず自己の頭脳を冷静にし、しかる後自分の長所とするところ、短所とするところを精細に比較考察し、その最も長ずるところに向うて志を定めるがよい。またそれと同時に、自分の境遇がその志を遂ぐることを許すや否やを深く考慮することも必要で、例えば、身体も強壮、頭脳も明晰であるから、学問で一生を送りたいとの志を立てても、これに資力が伴わなければ、思うようにやり遂げることは困難であるというようなこともあるから、これならばいずれから見ても、一生を貫いてやることが出来るという確かな見込みの立ったところで、初めてその方針を確定するがよい。しかるにさほどまでの熟慮考察を経ずして、ちょっとした世間の景気に乗じ、うかと志を立てて駆け出すような者もよくあるけれども、これでは到底末の遂げられるものではないと思う。
すでに根幹となるべき志が立ったならば、今度はその枝葉となるべき小さな立志について、日々工夫することが必要である。何人でも時々事物に接して起こる希望があろうが、それに対しどうかしてその希望を遂げたいという観念を抱くのも一種の立志で、余がいわゆる小さな立志とは即ちそれである。一例を挙げて説明すれば、某氏はある行いによって世間から尊敬されるようになったが、自分もどうかしてああいう風になりたいとの希望を起こすが如き、これもまた一つの小立志である。しからばこの小立志に対してはいかなる工夫をめぐらすべきかというに、先ずその要件は、どこまでも一生を通じての大なる立志に戻らぬ範囲において工夫することが肝要である。また小なる立志はその性質上常に変動遷移するものであるから、この変動や遷移によって大なる立志を動かすことのないようにするだけの用意が必要である。つまり大なる立志と小さい立志と矛盾するようなことかあってはならぬ。この両者は常に調和し一致するを要するものである。
以上述ぶるところは主として立志の工夫であるが、古人はいかに立志をしたものであるか、参考として孔子の立志について研究してみよう。
孔子の立志:十有五にして学に志し、三十にして立ち
自分が平素、処世上の規矩(きく)としておる論語を通じて孔子の立志を窺うに『十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る云云』とあるところより推測すれば、孔子は十五歳の時すでに志を立てられたものと思われる。しかしながらその『学に志す』といわれたのは、学問を以て一生を過すつもりであるという志を固め定めたものかどうか、これはやや疑問とするところで、ただこれから大いに学問しなければならぬというくらいに考えたものではなかろうか。さらに進んで『三十にして立つ』といわれたのは、この時すでに世に立って行けるだけの人物となり、修身斉家治国平天下の技倆ありと自信する境地に達せられたのであろう。なお『四十にして惑わず』とあるより想像すれば、一度立てた志を持ちて世に処するにあたり、外界の刺激ぐらいでは決してその志は動かされぬという境域に入って、どこまでも自信ある行動が執れるようになったというのであろうから、ここに至って立志がようやく実を結び、且つ固まってしまったということが出来るだろう。してみれば孔子の立志は十五歳から三十歳の間にあったように思われる。学に志すといわれた頃は、まだ幾分志が動揺していたらしいが、三十歳に至ってやや決心の程が見え、四十歳に及んで初めて立志が完成されたようである。
これを要するに、立志は人生という建築の骨子で、小立志はその修飾であるから、最初にそれらの組み合せをしかと考えてかからなければ、後日に至ってせっかくの建築が半途で毀(こわ)れるようなことにならぬとも限らぬ。かくの如く立志は人生にとって大切の出発点であるから、何人も軽々に看過することは出来ぬのである。立志の要はよく己を知り、身の程を考え、それに応じて適当な方針を決定する以外にないのである。誰もよくその程を計って進むように心がくるならば、人生の行路において間違いの起こる筈は万々ないことと信ずる。
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by sogyo-syuppankai
| 2014-05-15 11:02
| おすすめ参考図書
OWL創業研究会 第1回 2014.5.6 開催のご案内(四木 信 2014.4.11)
創業=立志未来構想:mission-vision+共感仲間社会:empathy-company
知情意の心をつくり、仲間をつくり、未来の時代社会をつくる創業活動。
生き方・考え方を研ぎ、ミッション・ビジョンを究め、アクションに導く。
創業で悩んでいる方、迷っている方、一緒に創業研究会を創りませんか!
OWL創業研究会 第1回
2014年5月6日(火)振替休日 14:00-16:30
大阪市立総合生涯学習センター 第3会議室 (大阪駅前第2ビル5F)
大阪市北区梅田1-2-2-500 最寄駅:JR北新地駅・地下鉄西梅田駅、阪神梅田駅・地下鉄東梅田駅
話題提供 「今なぜ、創業研究会なのか?」 四木 信/OWL仕事研究室
高校生との対話
意見交流 「OWL創業研究会へのご意見」など
定 員 15人(申込順)
参 加 費 OWL会員・未成年者:無料、一般:1000円(含:資料・会場費)
参加申込 OWL仕事研究室へ前日までに e-mail・電話・FAXでお申し込みください。
※OWL未会員の方は氏名・e-mail・電話番号を添えてお申し込みください。
OWL仕事研究室 e-mail:bzy12347@nifty.ne.jp http://homepage3.nifty.com/OWL/
tel&fax:072-956-7484 四木携帯:080-5338-5046
若者が、夢と希望を持って自らの「生き方」を決断し、
本気で「学び」始め、「行動」を起こし、納得できる自らの「人生づくり」を開始する。
それを応援できる創業研究会にしていきたい。
特に20歳前後の多感な悩み多き青春時代、中でも20歳目前の高校生・大学生、
当事者意識と責任感を持って次なる時代社会を創ろうと立志の気概あふれる若者の心に、
お役に立つことができる研究会にしていきたい、と願っています。
今回の「高校生との対話」は、そのような思いからお願いした次第です。(四木)
▼ クリック → 拡大
話題提供「今なぜ、創業研究会なのか?」四木 信/OWL仕事研究室
本題に入る前の3題:意志-カネ-世界
1)四木の「第二の誕生」:1970年千里万博頃(45年程前・20歳前後)から
「自分のために生きる虚しさ」を自覚してから、社会に役立つ生き方・働き方(利他即自利 ※利=役立つ)を考え始める。
2)日本のバブル経済と社会精神の荒廃:1980~95年(20~35年前)
土地を資本に、カネがカネを産み、カネ・土地・情報によってバブル経済が生まれた。
そして95年1月に阪神淡路大震災、3月にオウム真理教サリン事件が起こった。
3)世界の金融危機:2008年
アメリカでサブプライムローン危機からバブル経済が崩壊し、リーマン・ショック(投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻、負債総額約6000億ドル、約64兆円)、そして世界的金融危機へと連鎖した。
1《現代社会の難題》組織経営疲労+個人精神疲労
ここ20年は、組織疲労で経営の先が見えない混迷の時代、個人疲労で精神が孤立する閉塞の社会
・・・・・ その背景と由来を考えてみる ・・・・・ そして未来への展望も
①【組織・雇用】雇用環境の変化と場当たり対策でひずみが蔓延:今から10年20年先の姿は?
1990年頃(25年前)バブル経済崩壊以降、組織疲労(経営精神疲労)により未来創造的な人間組織づくり対策ができずに、非正規雇用(パート・アルバイト~派遣・契約・偽装請負・フリーター)が拡大した。現在(2013年時点)の非正規雇用率は38.2%、若者(15~34歳)は過半数。それでは20年後は、何%?
・・・・・組織疲労の根源的実態把握と、未来創造的な「人間しごと社会」づくりが求められる。
②【個人・心情】精神状態の不安定化と心の空白から閉塞感が蔓延
20世紀末頃(15年前)から、ウツ・自殺・引きこもり・孤立~精神破綻・認知症~所属意識安心症・組織依存症・・・が多発している。知識は豊富だが、主体性・自己客観にゆがみが多く、感情不安定・意志薄弱が増大傾向にある。
・・・・・課題は知情意(知性・感情・意志)の心、特に主体的客観的な意志と感情の創造が求められる。
2《難題解決への提案》物づくり雇用対策から、心づくり創業支援へ
難題の根本解決は、物づくり中心の雇用対策にはなく、心づくり中心の創業支援にあり
・・・・・ 今なぜ、創業研究会なのか
③「ひと」づくりを忘れた「もの・かね」づくりの時代から、「ひと・こと・こころ」づくり中心の時代へ
過去150年は、物づくりが中心テーマで科学技術発展の時代社会だった
:資本労働の効率経済を求めた情報化大規模組織社会
未来は、心づくりが中心テーマで科学哲学成熟の時代社会へ
:立志個人とテーマ縁共感仲間の情報ネットワークがつくる志事創業社会
勝 海舟1823-1899年「生業に貴賎はないけど、生き方には貴賤がある」:心づくり・生き方が大切
河合隼雄1928-2007年「衣食余って、礼節忘れる」:物余って心忘れる→物づくりから心づくりへ
OWL(Original Working Life 主体的仕事人生):本源的な主体づくり+志事づくり+人生づくり
自らの「意志」と「感情」をつくり、共感仲間をつくり、「知性」豊かな未来をつくる創業人生社会へ
3《OWL創業研究会の役割》創業人生社会モデルづくり
④未来の「人間-心-志事-社会」づくりを構想する
創業(新しく自らの事業を創造する)活動が、「人間づくり・社会づくり」に果たす大きな役割と、時代社会的な要請・意義を視野に入れ
1)創業活動の全体像を、具体的実践的な見取図にまとめる。
・・・・・ ビジョンづくり+共感を得る仲間・顧客づくり+信頼経済仕組の社会づくり+自分づくり
2)実践の参考になる具体事例・創業モデルを提示していく。
・・・・・ なるほど、このやり方ならいけるぞ。自分もやれそうだ、やってみよう! と思えるように
創業の想いを、他人が理解共感できる形にまとめ、テーマ縁志事仲間ネットワーク社会を創ろう
若者が、夢と希望を持って自らの「生き方」を決断し、
本気で「学び」始め、「行動」を起こし、納得できる自らの「人生づくり」を開始する。
それを応援できる創業研究会にしていきたい。
特に20歳前後の多感な悩み多き青春時代、中でも20歳目前の高校生・大学生、
当事者意識と責任感を持って次なる時代社会を創ろうと立志の気概あふれる若者の心に、
お役に立つことができる研究会にしていきたい、と私は願っています。
今回の「高校生との対話」は、そのような思いからお願いした次第です。
知情意の心をつくり、仲間をつくり、未来の時代社会をつくる創業活動。
生き方・考え方を研ぎ、ミッション・ビジョンを究め、アクションに導く。
創業で悩んでいる方、迷っている方、一緒に創業研究会を創りませんか!
《 創業=立志未来構想:mission-vision+共感仲間社会:empathy-company 》
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知情意の心をつくり、仲間をつくり、未来の時代社会をつくる創業活動。
生き方・考え方を研ぎ、ミッション・ビジョンを究め、アクションに導く。
創業で悩んでいる方、迷っている方、一緒に創業研究会を創りませんか!
OWL創業研究会 第1回
2014年5月6日(火)振替休日 14:00-16:30
大阪市立総合生涯学習センター 第3会議室 (大阪駅前第2ビル5F)
大阪市北区梅田1-2-2-500 最寄駅:JR北新地駅・地下鉄西梅田駅、阪神梅田駅・地下鉄東梅田駅
話題提供 「今なぜ、創業研究会なのか?」 四木 信/OWL仕事研究室
高校生との対話
意見交流 「OWL創業研究会へのご意見」など
定 員 15人(申込順)
参 加 費 OWL会員・未成年者:無料、一般:1000円(含:資料・会場費)
参加申込 OWL仕事研究室へ前日までに e-mail・電話・FAXでお申し込みください。
※OWL未会員の方は氏名・e-mail・電話番号を添えてお申し込みください。
OWL仕事研究室 e-mail:bzy12347@nifty.ne.jp http://homepage3.nifty.com/OWL/
tel&fax:072-956-7484 四木携帯:080-5338-5046
若者が、夢と希望を持って自らの「生き方」を決断し、
本気で「学び」始め、「行動」を起こし、納得できる自らの「人生づくり」を開始する。
それを応援できる創業研究会にしていきたい。
特に20歳前後の多感な悩み多き青春時代、中でも20歳目前の高校生・大学生、
当事者意識と責任感を持って次なる時代社会を創ろうと立志の気概あふれる若者の心に、
お役に立つことができる研究会にしていきたい、と願っています。
今回の「高校生との対話」は、そのような思いからお願いした次第です。(四木)
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話題提供「今なぜ、創業研究会なのか?」四木 信/OWL仕事研究室
本題に入る前の3題:意志-カネ-世界
1)四木の「第二の誕生」:1970年千里万博頃(45年程前・20歳前後)から
「自分のために生きる虚しさ」を自覚してから、社会に役立つ生き方・働き方(利他即自利 ※利=役立つ)を考え始める。
2)日本のバブル経済と社会精神の荒廃:1980~95年(20~35年前)
土地を資本に、カネがカネを産み、カネ・土地・情報によってバブル経済が生まれた。
そして95年1月に阪神淡路大震災、3月にオウム真理教サリン事件が起こった。
3)世界の金融危機:2008年
アメリカでサブプライムローン危機からバブル経済が崩壊し、リーマン・ショック(投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻、負債総額約6000億ドル、約64兆円)、そして世界的金融危機へと連鎖した。
1《現代社会の難題》組織経営疲労+個人精神疲労
ここ20年は、組織疲労で経営の先が見えない混迷の時代、個人疲労で精神が孤立する閉塞の社会
・・・・・ その背景と由来を考えてみる ・・・・・ そして未来への展望も
①【組織・雇用】雇用環境の変化と場当たり対策でひずみが蔓延:今から10年20年先の姿は?
1990年頃(25年前)バブル経済崩壊以降、組織疲労(経営精神疲労)により未来創造的な人間組織づくり対策ができずに、非正規雇用(パート・アルバイト~派遣・契約・偽装請負・フリーター)が拡大した。現在(2013年時点)の非正規雇用率は38.2%、若者(15~34歳)は過半数。それでは20年後は、何%?
・・・・・組織疲労の根源的実態把握と、未来創造的な「人間しごと社会」づくりが求められる。
②【個人・心情】精神状態の不安定化と心の空白から閉塞感が蔓延
20世紀末頃(15年前)から、ウツ・自殺・引きこもり・孤立~精神破綻・認知症~所属意識安心症・組織依存症・・・が多発している。知識は豊富だが、主体性・自己客観にゆがみが多く、感情不安定・意志薄弱が増大傾向にある。
・・・・・課題は知情意(知性・感情・意志)の心、特に主体的客観的な意志と感情の創造が求められる。
2《難題解決への提案》物づくり雇用対策から、心づくり創業支援へ
難題の根本解決は、物づくり中心の雇用対策にはなく、心づくり中心の創業支援にあり
・・・・・ 今なぜ、創業研究会なのか
③「ひと」づくりを忘れた「もの・かね」づくりの時代から、「ひと・こと・こころ」づくり中心の時代へ
過去150年は、物づくりが中心テーマで科学技術発展の時代社会だった
:資本労働の効率経済を求めた情報化大規模組織社会
未来は、心づくりが中心テーマで科学哲学成熟の時代社会へ
:立志個人とテーマ縁共感仲間の情報ネットワークがつくる志事創業社会
勝 海舟1823-1899年「生業に貴賎はないけど、生き方には貴賤がある」:心づくり・生き方が大切
河合隼雄1928-2007年「衣食余って、礼節忘れる」:物余って心忘れる→物づくりから心づくりへ
OWL(Original Working Life 主体的仕事人生):本源的な主体づくり+志事づくり+人生づくり
自らの「意志」と「感情」をつくり、共感仲間をつくり、「知性」豊かな未来をつくる創業人生社会へ
3《OWL創業研究会の役割》創業人生社会モデルづくり
④未来の「人間-心-志事-社会」づくりを構想する
創業(新しく自らの事業を創造する)活動が、「人間づくり・社会づくり」に果たす大きな役割と、時代社会的な要請・意義を視野に入れ
1)創業活動の全体像を、具体的実践的な見取図にまとめる。
・・・・・ ビジョンづくり+共感を得る仲間・顧客づくり+信頼経済仕組の社会づくり+自分づくり
2)実践の参考になる具体事例・創業モデルを提示していく。
・・・・・ なるほど、このやり方ならいけるぞ。自分もやれそうだ、やってみよう! と思えるように
創業の想いを、他人が理解共感できる形にまとめ、テーマ縁志事仲間ネットワーク社会を創ろう
若者が、夢と希望を持って自らの「生き方」を決断し、
本気で「学び」始め、「行動」を起こし、納得できる自らの「人生づくり」を開始する。
それを応援できる創業研究会にしていきたい。
特に20歳前後の多感な悩み多き青春時代、中でも20歳目前の高校生・大学生、
当事者意識と責任感を持って次なる時代社会を創ろうと立志の気概あふれる若者の心に、
お役に立つことができる研究会にしていきたい、と私は願っています。
今回の「高校生との対話」は、そのような思いからお願いした次第です。
知情意の心をつくり、仲間をつくり、未来の時代社会をつくる創業活動。
生き方・考え方を研ぎ、ミッション・ビジョンを究め、アクションに導く。
創業で悩んでいる方、迷っている方、一緒に創業研究会を創りませんか!
《 創業=立志未来構想:mission-vision+共感仲間社会:empathy-company 》
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by sogyo-syuppankai
| 2014-04-11 21:15
| OWL創業研究会
スティーブ・ジョブズの「人生の時間を無駄に使ってはいけない」(2014.3.31)
『スティーブ・ジョブズ伝説のスピーチ&プレゼン[対訳]』朝日出版社 2012年
抜粋編集/四木
スタンフォード大学卒業式スピーチ
2005年6月12日
素晴らしい仕事だと自分が信じることをやる
いつか人生には……時として人生には、れんがで頭を殴られるようなこともあります。それでも信念は失わないでください。私が前に進み続けてこれたのは、ひとえに自分の仕事が好きだったおかげだと、私は確信しています。皆さんも、自分は何が好きなのかを知る必要があります。それは恋愛においても仕事においても同じように言えることです。仕事がこれからの皆さんの人生の大きな部分を占めるようになるでしょうが、真の満足を得るための唯一の方法は、素晴らしい仕事だと自分が信じることをやることです。そして、素晴らしい仕事ができるための唯一の方法は、自分の仕事を愛することです。
もしもまだそれを見つけていないのであれば、探し続けてください。もう落ち着く、とはならないでください。あらゆる恋愛がそうであるように、それを見つけたときには自分でも分かるものです。そして、素晴らしい恋愛関係がいつもそうであるように、それも年を重ねるごとにどんどんよくなっていきます。ですから、探し続けてください。落ち着いたりしてはいけません。
Sometimes life…Sometimes life's going to hit you in the head with a brick. Don't lose faith. I'm convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did. You've got to find what you love. And that is as true for your work as it is for your lovers. Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work. And the only way to do great work is to love what you do.
If you haven't found it yet, keep looking. Don't settle. As with all matters of the heart, you'll know when you find it. And, like any great relationship, it just gets better and better as the years roll on. So keep looking. Don't settle.
17歳からの自問「今日が人生最後の日だとしたら」
みっつ目のお話のテーマは、死です。
17歳のころ、「その日が人生の最後であるかのように毎日を生きれば、いつかその通りになることはほぼ間違いない」というような記述が引用されているのを読みました。それに感銘を受けた私は、それから33年間、毎朝鏡をのぞき込んで自問してきました、「もしも今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることをやりたいと思うだろうか」と。その答えが「ノー」の日があまり多く続く場合には、何かを変える必要があるのだと、必ず分かります。
My third story is about death.
When I was 17, I read a quote that went something like: "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right." It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.
自分はもうすぐ死ぬのだと意識しておくことは、私が人生の重大な選択をする際に役立つツールとして偶然に手にしたものの中でも、最も重要です。なぜなら、ほとんとすべてのこと──いろいろな外部からの期待や、自分のあらゆるプライド、混乱や失敗に対するさまざまな恐れ──こういったものは、死に直面すると消えてなくなり、真に重要なことだけが残されるからです。自分も死に向かっているのだと意識することは、自分には失うものがあるという思考の落とし穴を避けるための策として、私の知る範囲では最善です。皆さんはすでに何も身に着けていない状態なのです。自分の心に従わない理由はありません。
Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything ― all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure ― these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.
自分の心と直感に従う勇気を持て
だれでも死にたくはありません。たとえ天国に行きたいと思っている人でも、そこへ行くために死にたいとは思いません。しかし、死というものは、われわれ全員共通の終着点なのです。それから逃れた者は、これまでだれもいません。そして、それはそうあるべきものなのです。なぜなら、死はほぼ間違いなく、生命に関した唯一にして最高の発明だからです。それは生命の変化の担い手です。古いものを排除し、新しいもののために道を開きます。
今ここでは、新しいものは皆さんです。しかし、そのうち、つまり今からそう遠くない時期に、皆さんも徐々に古いものとなり、排除されることになります。かなり劇的でお気の毒ですが、これはまったくの真実です。
No one wants to die. Even people who want to go to heaven don't want to die to get there. And yet death is the destination we all share. No one has ever escaped it. And that is as it should be, because Death is very likely the single best invention of Life. It is Life's change agent. It clears out the old to make way for the new.
Right now the new is you, but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away. Sorry to be so dramatic, but it is quite true.
皆さんの時間は限られていますから、他人の人生を生きて時間を無駄にしてはいけません。ドグマにとらわれないでください。それでは、他の人たちの思考の結果に従って生きることになります。他人の意見という雑音によって自分の内なる声がかき消されてしまわないようにしてください。そして、最も重要なことですが、自分の心と直感に従う勇気を持ってください。あなたの心と直感は、あなたが本当は何になりたいのかを、どうしてだかすでに知っているのです。他のことはすべて二の次です。
Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma, which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.
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抜粋編集/四木
スタンフォード大学卒業式スピーチ
2005年6月12日
素晴らしい仕事だと自分が信じることをやる
いつか人生には……時として人生には、れんがで頭を殴られるようなこともあります。それでも信念は失わないでください。私が前に進み続けてこれたのは、ひとえに自分の仕事が好きだったおかげだと、私は確信しています。皆さんも、自分は何が好きなのかを知る必要があります。それは恋愛においても仕事においても同じように言えることです。仕事がこれからの皆さんの人生の大きな部分を占めるようになるでしょうが、真の満足を得るための唯一の方法は、素晴らしい仕事だと自分が信じることをやることです。そして、素晴らしい仕事ができるための唯一の方法は、自分の仕事を愛することです。
もしもまだそれを見つけていないのであれば、探し続けてください。もう落ち着く、とはならないでください。あらゆる恋愛がそうであるように、それを見つけたときには自分でも分かるものです。そして、素晴らしい恋愛関係がいつもそうであるように、それも年を重ねるごとにどんどんよくなっていきます。ですから、探し続けてください。落ち着いたりしてはいけません。
Sometimes life…Sometimes life's going to hit you in the head with a brick. Don't lose faith. I'm convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did. You've got to find what you love. And that is as true for your work as it is for your lovers. Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work. And the only way to do great work is to love what you do.
If you haven't found it yet, keep looking. Don't settle. As with all matters of the heart, you'll know when you find it. And, like any great relationship, it just gets better and better as the years roll on. So keep looking. Don't settle.
17歳からの自問「今日が人生最後の日だとしたら」
みっつ目のお話のテーマは、死です。
17歳のころ、「その日が人生の最後であるかのように毎日を生きれば、いつかその通りになることはほぼ間違いない」というような記述が引用されているのを読みました。それに感銘を受けた私は、それから33年間、毎朝鏡をのぞき込んで自問してきました、「もしも今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることをやりたいと思うだろうか」と。その答えが「ノー」の日があまり多く続く場合には、何かを変える必要があるのだと、必ず分かります。
My third story is about death.
When I was 17, I read a quote that went something like: "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right." It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.
自分はもうすぐ死ぬのだと意識しておくことは、私が人生の重大な選択をする際に役立つツールとして偶然に手にしたものの中でも、最も重要です。なぜなら、ほとんとすべてのこと──いろいろな外部からの期待や、自分のあらゆるプライド、混乱や失敗に対するさまざまな恐れ──こういったものは、死に直面すると消えてなくなり、真に重要なことだけが残されるからです。自分も死に向かっているのだと意識することは、自分には失うものがあるという思考の落とし穴を避けるための策として、私の知る範囲では最善です。皆さんはすでに何も身に着けていない状態なのです。自分の心に従わない理由はありません。
Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything ― all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure ― these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.
自分の心と直感に従う勇気を持て
だれでも死にたくはありません。たとえ天国に行きたいと思っている人でも、そこへ行くために死にたいとは思いません。しかし、死というものは、われわれ全員共通の終着点なのです。それから逃れた者は、これまでだれもいません。そして、それはそうあるべきものなのです。なぜなら、死はほぼ間違いなく、生命に関した唯一にして最高の発明だからです。それは生命の変化の担い手です。古いものを排除し、新しいもののために道を開きます。
今ここでは、新しいものは皆さんです。しかし、そのうち、つまり今からそう遠くない時期に、皆さんも徐々に古いものとなり、排除されることになります。かなり劇的でお気の毒ですが、これはまったくの真実です。
No one wants to die. Even people who want to go to heaven don't want to die to get there. And yet death is the destination we all share. No one has ever escaped it. And that is as it should be, because Death is very likely the single best invention of Life. It is Life's change agent. It clears out the old to make way for the new.
Right now the new is you, but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away. Sorry to be so dramatic, but it is quite true.
皆さんの時間は限られていますから、他人の人生を生きて時間を無駄にしてはいけません。ドグマにとらわれないでください。それでは、他の人たちの思考の結果に従って生きることになります。他人の意見という雑音によって自分の内なる声がかき消されてしまわないようにしてください。そして、最も重要なことですが、自分の心と直感に従う勇気を持ってください。あなたの心と直感は、あなたが本当は何になりたいのかを、どうしてだかすでに知っているのです。他のことはすべて二の次です。
Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma, which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.
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by sogyo-syuppankai
| 2014-03-31 18:40
| おすすめ参考図書
小暮真久の「Winの累乗を生み出すような未来予想図を描こう」(2014.3.26)
小暮真久著『社会をよくしてお金も稼げるしくみのつくりかた』ダイヤモンド社 2012年
・・・・・マッキンゼーでは気づけなかった世界を動かすビジネスモデル「Winの累乗」・・・・・
抜粋編集/四木
「未来予想図」は?
「何のために働くのか」を見つめ直すために
未来予想図が共有できなかったがゆえに、スタッフの仕事に対するモチベーションは下がり、結果として彼らは組織を去っていったのです。
組織を外から見るコンサルタントだったときには、「未来予想図」なしに仕事をする辛さは想像できませんでした。けれど一人の経営者となった今では、それがどんなに働く人のモチベーションや成果に影響を及ぼすものかがよくわかります。
「未来予想図」を持てないことで、自分の仕事の意義を見出せない。これは、僕が代表を務めるTFTに集うメンバーと接していても、TFTプログラムを導入してくれる企業で働く人と接していても感じることです。そして僕はいつもその事実を「もったいない」と感じてしまいます。なぜかって、非常に優秀で、本来は情熱がありモチベーションも高い彼らの口から出てくるのは、
「今の会社での仕事はあくまでも経験を積み、スキルを身につけるため。本当にやりたことは別にあり、時期が来たら会社を辞めて取り組むつもり」
「難関の面接をくぐり抜け就職した会社だが、正直、会社が何をしたいのか、自分は何のために今の仕事をしているのか見えない」
といった声ばかりだからです。
彼らは日本や世界の将来をしょって立つ人材なのに、「何のためにこの仕事をしているのか」が見えないために、持てる能力を十分に発揮できていないのです。これが、僕がもったいないと感じる理由です。
一方で、「未来予想図」を持つことがもたらすプラスのパワーに気づかせてくれたのも、TFTの活動を通してでした。
僕自身にも当てはまることですが、TFTで働く(もしくは手伝ってくれている)人たちは、みんなとても生き生きとしているのです。
「本当にやりたかったことは、これなんです」
「自分の得意なことを活かし、仕事を通じて誰かを幸せにできるなんて!」
「社会をよくしたいと思う仲間と一緒に、目に見えるポジティブな変化を起こしている実感があります」
日々の仕事の場面で、僕が彼らに感謝の気持ちを伝えるとき、こんな声を耳にする機会はとても多いんです。
営利と非営利の境界でつかんだ新戦略、「Winの累乗」
こうした気づきはすべて、僕のちょっと変わったキャリアから得られたものです。
振り返ると学生時代は心臓病の患者さんのための人工心臓の研究に没頭し、卒業後マッキンゼーという世界有数の戦略コンサルティング会社で働き、その後100年以上の歴史を持つ松竹という伝統的な日本企業に勤め、一念発起してNPOをゼロから立ち上げて、僕という人間は現在に至っています。
今はNPOの代表として500社以上の民間企業とパートナーシップを結び、世界の肥満と貧困をなくすという地球規模の社会課題解決に取り組んでいます。
こうして営利と非営利の世界を行ったり来たりし、またグローバルな土俵で仕事をするうちに、今、企業やそこで働く人が抱えている悩みには共通する問題があり、また解決策も共通している、ということに気づいたのです。
それこそが、本書のタイトルにもなっている「Winの累乗」、そして「5Cで考える」という考え方です。
経営の世界では、よく「『Win-Win』の関係を作るようなビジネスモデルを考えることが成功のカギ」なんていう言葉を聞きます。取引先にも自社にもメリットがあるようなしくみがよい、ということですよね。僕もこれには大賛成です。ただそのWinづくりを、一対一の関係の中で、または取引先との関係だけに限定せずに考えよう、というのが、この本を通じて僕が言いたいことです。
Winはもっと広い範囲で作ることができる。そうすることによって、企業や団体で働く仲間、顧客、社会の「すべて」を幸せにすることができます。そしてWinの数が増えれば、幸福感・満足感は数学の「累乗」のごとく大きくなっていくのです。
自分が勤める会社が、「一緒に働く仲間」「商品・サービスを購入してくれるお客さん」「事業を展開する地域」「資金を提供する株主」、そして「競合と思っていた同業者」の5つすべてを幸せにし、かつ彼らのすべてから愛される存在だったらと想像してみてください。しかもそれが国境を越えて実現したとしたら?
それが「5つのC」を通じて「Winの累乗」を作るということなのです。それはビジネスに成功をもたらすだけではなく、企業で働くみなさんが「未来予想図」を持ち、持てる能力をフルに発揮して働く環境づくりにもつながることなのです。
Winの累乗「5つのC」
①Company(自社の従業員・一緒に働く仲間)
②Customer(消費者・顧客)
③Community(一般社会・進出先の国や地域)
④Contributor(出資者)
⑤Cooperator(提携・協業者)
「Winの累乗」はグローバルな成功をもたらす
この「Winの累乗」という考え方に立ってビジネスモデルや組織について考えていくことには、大きなメリットがあります。
それは、「グローバルでの成功につながる」ということ。
これからは企業もNPOも、グローバルな土俵で勝負しようと思うなら、世界に拡がる顧客やパートナー、果ては進出先の地域コミュニティまで、より多くの人や場所でWinが生まれるようなモデルを描かなければ、持続可能な発展はあり得ません。作れなければ、仲間は去り、顧客はそっぽを向いて、そのマーケットから退出することを余儀なくされるでしょう。
かつての僕が悟ったように、従来の発想に基づく「正しい」戦略だけでは、自らの事業を通じて世界を動かしていくことはできません。だからこそ、新しい発想が必要なのです。
営利であるか、非営利であるかにかかわらず、「Winの累乗」を作ることに成功している組織こそが、グローバルに成功していて、また働く個人の成長の場、そして仕事をする喜びを感じる空間ともなっているのです。その事例を、みなさんは本書を通じて目にすることでしょう。
そしてこの本を読み終えるとき、ある人は今まで思いもしなかった働き方について知るかもしれません。
また別の人は、意外な協業のあり方に、新しい可能性を見出すことでしょう。
みなさんの企業・組織に関わる、すべての人や組織にWinを。そしてグローバルに支持され、愛される企業になる。ややもすると夢物語に聞こえるかもしれないこのメッセージが、読み進めるうちにこの本を手に取ったみなさんの中で確信に変われば、これ以上の幸せはありません。
・・・・・「はじめに──ロジックだけでは、「Win」は作れない」より
おわりに──「社会をよくしてお金を稼ぐ」を実践しよう
「難民への衣料支援を行っていることを知って、『これをやりたい』と思ったのがユニクロを就職先に選んだ決め手」
「自分自身もアトピーに悩まされているので、化粧品会社に入って同じ悩みを持つ女性が安心して使える商品を開発したい」
「子どもの笑顔を見ることが大好きなので、食品会社に入って、ママと子どもに愛される食を届けたい」
僕のまわりで、こんな想いを抱いて就職先を決める若い人が増えています。20年前、僕の世代が就職活動をしていた頃には思いつきもしなかった考え方です。その当時の学生が持っていた志望動機と言えば、
「初任給はそこそこだが、マネジャークラスになると年収1000万円も夢ではない」
「3年我慢すれば、海外支店駐在のチャンスがある」
といったことが代表的なものでした。
ところが今は、もはや冒頭の声に代表されると言ってもいいほど、就職を控えた学生が仕事や企業に求めるものは変わってきています。仕事を通じて、何か社会によいことをしたい、同じような想いを持つ仲間と切蹉琢磨したい、これこそ、今の若い人たちが求めていることなんじゃないだろうか。乱暴なまとめ方かもしれませんが、僕はそう感じます。
これから社会人になろうという学生がそう考える一方で、誰もが知るような大企業で社会人としての一歩を踏み出した優秀な若い人たちからは、
「年初の全社ミーティングで、『売り上げ対前年比10%アップを目指す!」とハッパをかけられたけど、それは誰のため、何のためなのか、それを実現したらどうなるのかがわからない」
「はっきり言って、何を目指して毎日仕事に向かえばいいのか見えてこない」
といった声が漏れ聞こえてきます。「何のための仕事か?」を問う不満の声です。
こうした若い人の本音から見えるのは、彼らが会社に期待することや仕事を通じて実現したいと思っている「未来予想図」と、企業が実現しようとしているそれとの間には、大きな隔たりがあるということにほかなりません。そしてこの溝が埋められないがゆえに、企業は才能ある若手を活かしきれず、彼らは企業に失望して社外に夢の実現の場を求めるようになるのです。
でも、ちょっと待ってください。これって本当に埋められない溝でしょうか? 解決できない課題なんでしょうか?
僕は違うと思います。現に、誰もが知っている日本企業で、本業のビジネスを通じて社会の役に立つことを実践している会社、そしてそれが若い社員をハツピーにしている会社はあります。本書でお伝えしてきた通り、Winの累乗を見事に作っている企業はいくつもあるんですから。
大塚製薬のポカリスエットがインドネシアで爆発的に売れているのを、みなさんは知っていますか? 進出当初こそ苦戦していたそうですが、ここ数年は急激に売り上げを伸ばしていて、国内の売り上げを追い抜きそうな勢いなんだとか。
この成功の理由は2つあります。一つは、現地の販売促進員が学校や病院をこまめに訪問し、ポカリスエットが熱中症やデング熱などの予防になることを地道に訴え続けたこと。もう一つは、日中に食べ物や水を口にしないイスラム教のラマダン(断食月)の最中、日没後に最初に口にする飲料として推奨したことです。この働きかけがインドネシア国民に徐々に受け入れられていき、確実に売り上げを伸ばしたのだそうです。
この話は、次のように言いかえることもできます。
赤道直下にあり熱帯特有の病気に悩まされる人が多く、また世界最大のイスラム教国でもあるインドネシア。その地において、こうした現地の文化や風土に配慮しながら、地域コミュニティにWinをもたらす戦略をとったことが、ポカリスエットの成功のカギであった、と。
僕はこの話を知ったとき、鳥肌が立つ思いでした。純粋に感動したんです。だって素晴らしいと思いませんか? 中学生の頃、夏の炎天下で部活の合間に飲んだあの冷たいポカリ、扁桃腺が弱く頻繁に高熱を出す僕に母親が買ってきてくれたあのポカリが、遠くインドネシアの地で人々の命を救い、健康を守っているなんて。大塚製薬の社員でなくても、誇らしく自慢したくなる話じゃないですか。僕は嬉しくて、TFTの事務所に手伝いにきてくれる学生たちに片っ端からこの話を聞かせました。すると彼らは一様に、
「いいなあ、僕もその現地販売員として派遣してほしいです」
「すでにあるもので、そういう『世の中を助ける』商品ってまだありますよね。そういう商品を探したいです」
「それって社員のアイデアなんでしょうか。そういう部署って他の会社にもあるんでしょうかね?」
というように、非常にポジティブな反応を示したのです。
第二、第三のポカリスエットは、まだたくさんある気がしませんか? 僕たちの身のまわりにある商品やサービスで、発想と提供方法を変えれば、「社会をよくする」可能性のあるもの。僕は日本企業が作る、社会をよくする製品は数え切れないほどあると信じています。
そしてこの発想と提供方法の転換のための考え方こそ、本書を通じてお伝えしてきた「Winの累乗」なのです。僕たちTFTの活動に参加いただいている500社の中にも、日本、そして世界の人たちにとっての、いわば「ダイヤの原石」を持つ企業はたくさんあります。
自社だけではなく、取り巻く環境すべてにWinを作ろうという経営の姿勢は、現在・将来の社員に支持されるだけではなく、今や進出した新市場での成功につながる要因の一つになりつつあります。
2012年7月、自動車メーカー、スズキのインド子会社の工場で暴動が起き、多くの死傷者が出るまでに至りました。暴動の引き金となった原因はこの原稿を執筆している時点ではいまだ不明ですが、何にせよ現地従業員の間に不満がたまっていたことが背景にあったのは事実でしょう。スズキ側は原因が究明されるまで工場の操業を停止する予定だそうで、その損失は一日当たり8、9億円と推測されています。
この事件の解決策は、おそらくインドをはじめとする新興国で事業展開を進めている日本企業にとっての試金石となるのではないでしょうか。さらにこの事件が示すのは、従来はよしとされてきた日本から人件費の安い新興国に生産拠点を移し、日本人社員を現場監督として派遣して現地人スタッフを採用し、モノを作らせる、というやり方がもう成功を約束しないということでもあります。Winの累乗を作りきれない企業は、グローバル競争の市場からはじきだされてしまう、と言っても過言ではないでしょう。
取り巻く環境すべてにWinを作る。壮大すぎてどこから始めてよいかわからないと思う人もいるかもしれません。でもそれは、社員と企業がそれぞれ描いている、「未来予想図」の間にある溝を埋めることから始められる。僕はそう思います。
まずは身のまわりにあるさまざまな社会問題に、もっと関心を持つこと。経営者、管理職の方であれば、部下の若手社員に、今どんな社会問題があるのか、その中で彼らが興味を持っているのは何か聞いてみてください。彼らは本当によく知っています。その中には、自社の製品、サービスを使った解決方法をすでに導き出している人だっているかもしれません。企業は利益さえ出していればいい、などと言わず、どうか身のまわりの問題にも目を向けてください。
そして若い方には、「うちの会社じゃあ、本業を通じての社会貢献とかCSRなんて言っても、目の前の仕事に集中しろと一蹴されます」なんて、最初から諦めないでもらいたい。Winの累乗を生み出すような未来予想図を描くことは、「企業」という概念上の人格だけに任された仕事でも、経営者だけの仕事でもありません。「企業」を作っているのは、ほかならぬ社員であるみなさん自身です。みなさん自身が声を上げ、誰かの役に立とうと行動を起こすことで、企業自身の「ナビ」を設定することができるのです。
勇気を持って立ち上がり、行動を起こしてください。そしてこの本がその一助になれば、僕にとってそれほど嬉しく、幸せなことはありません。
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・・・・・マッキンゼーでは気づけなかった世界を動かすビジネスモデル「Winの累乗」・・・・・
抜粋編集/四木
「未来予想図」は?
「何のために働くのか」を見つめ直すために
未来予想図が共有できなかったがゆえに、スタッフの仕事に対するモチベーションは下がり、結果として彼らは組織を去っていったのです。
組織を外から見るコンサルタントだったときには、「未来予想図」なしに仕事をする辛さは想像できませんでした。けれど一人の経営者となった今では、それがどんなに働く人のモチベーションや成果に影響を及ぼすものかがよくわかります。
「未来予想図」を持てないことで、自分の仕事の意義を見出せない。これは、僕が代表を務めるTFTに集うメンバーと接していても、TFTプログラムを導入してくれる企業で働く人と接していても感じることです。そして僕はいつもその事実を「もったいない」と感じてしまいます。なぜかって、非常に優秀で、本来は情熱がありモチベーションも高い彼らの口から出てくるのは、
「今の会社での仕事はあくまでも経験を積み、スキルを身につけるため。本当にやりたことは別にあり、時期が来たら会社を辞めて取り組むつもり」
「難関の面接をくぐり抜け就職した会社だが、正直、会社が何をしたいのか、自分は何のために今の仕事をしているのか見えない」
といった声ばかりだからです。
彼らは日本や世界の将来をしょって立つ人材なのに、「何のためにこの仕事をしているのか」が見えないために、持てる能力を十分に発揮できていないのです。これが、僕がもったいないと感じる理由です。
一方で、「未来予想図」を持つことがもたらすプラスのパワーに気づかせてくれたのも、TFTの活動を通してでした。
僕自身にも当てはまることですが、TFTで働く(もしくは手伝ってくれている)人たちは、みんなとても生き生きとしているのです。
「本当にやりたかったことは、これなんです」
「自分の得意なことを活かし、仕事を通じて誰かを幸せにできるなんて!」
「社会をよくしたいと思う仲間と一緒に、目に見えるポジティブな変化を起こしている実感があります」
日々の仕事の場面で、僕が彼らに感謝の気持ちを伝えるとき、こんな声を耳にする機会はとても多いんです。
営利と非営利の境界でつかんだ新戦略、「Winの累乗」
こうした気づきはすべて、僕のちょっと変わったキャリアから得られたものです。
振り返ると学生時代は心臓病の患者さんのための人工心臓の研究に没頭し、卒業後マッキンゼーという世界有数の戦略コンサルティング会社で働き、その後100年以上の歴史を持つ松竹という伝統的な日本企業に勤め、一念発起してNPOをゼロから立ち上げて、僕という人間は現在に至っています。
今はNPOの代表として500社以上の民間企業とパートナーシップを結び、世界の肥満と貧困をなくすという地球規模の社会課題解決に取り組んでいます。
こうして営利と非営利の世界を行ったり来たりし、またグローバルな土俵で仕事をするうちに、今、企業やそこで働く人が抱えている悩みには共通する問題があり、また解決策も共通している、ということに気づいたのです。
それこそが、本書のタイトルにもなっている「Winの累乗」、そして「5Cで考える」という考え方です。
経営の世界では、よく「『Win-Win』の関係を作るようなビジネスモデルを考えることが成功のカギ」なんていう言葉を聞きます。取引先にも自社にもメリットがあるようなしくみがよい、ということですよね。僕もこれには大賛成です。ただそのWinづくりを、一対一の関係の中で、または取引先との関係だけに限定せずに考えよう、というのが、この本を通じて僕が言いたいことです。
Winはもっと広い範囲で作ることができる。そうすることによって、企業や団体で働く仲間、顧客、社会の「すべて」を幸せにすることができます。そしてWinの数が増えれば、幸福感・満足感は数学の「累乗」のごとく大きくなっていくのです。
自分が勤める会社が、「一緒に働く仲間」「商品・サービスを購入してくれるお客さん」「事業を展開する地域」「資金を提供する株主」、そして「競合と思っていた同業者」の5つすべてを幸せにし、かつ彼らのすべてから愛される存在だったらと想像してみてください。しかもそれが国境を越えて実現したとしたら?
それが「5つのC」を通じて「Winの累乗」を作るということなのです。それはビジネスに成功をもたらすだけではなく、企業で働くみなさんが「未来予想図」を持ち、持てる能力をフルに発揮して働く環境づくりにもつながることなのです。
Winの累乗「5つのC」
①Company(自社の従業員・一緒に働く仲間)
②Customer(消費者・顧客)
③Community(一般社会・進出先の国や地域)
④Contributor(出資者)
⑤Cooperator(提携・協業者)
「Winの累乗」はグローバルな成功をもたらす
この「Winの累乗」という考え方に立ってビジネスモデルや組織について考えていくことには、大きなメリットがあります。
それは、「グローバルでの成功につながる」ということ。
これからは企業もNPOも、グローバルな土俵で勝負しようと思うなら、世界に拡がる顧客やパートナー、果ては進出先の地域コミュニティまで、より多くの人や場所でWinが生まれるようなモデルを描かなければ、持続可能な発展はあり得ません。作れなければ、仲間は去り、顧客はそっぽを向いて、そのマーケットから退出することを余儀なくされるでしょう。
かつての僕が悟ったように、従来の発想に基づく「正しい」戦略だけでは、自らの事業を通じて世界を動かしていくことはできません。だからこそ、新しい発想が必要なのです。
営利であるか、非営利であるかにかかわらず、「Winの累乗」を作ることに成功している組織こそが、グローバルに成功していて、また働く個人の成長の場、そして仕事をする喜びを感じる空間ともなっているのです。その事例を、みなさんは本書を通じて目にすることでしょう。
そしてこの本を読み終えるとき、ある人は今まで思いもしなかった働き方について知るかもしれません。
また別の人は、意外な協業のあり方に、新しい可能性を見出すことでしょう。
みなさんの企業・組織に関わる、すべての人や組織にWinを。そしてグローバルに支持され、愛される企業になる。ややもすると夢物語に聞こえるかもしれないこのメッセージが、読み進めるうちにこの本を手に取ったみなさんの中で確信に変われば、これ以上の幸せはありません。
・・・・・「はじめに──ロジックだけでは、「Win」は作れない」より
おわりに──「社会をよくしてお金を稼ぐ」を実践しよう
「難民への衣料支援を行っていることを知って、『これをやりたい』と思ったのがユニクロを就職先に選んだ決め手」
「自分自身もアトピーに悩まされているので、化粧品会社に入って同じ悩みを持つ女性が安心して使える商品を開発したい」
「子どもの笑顔を見ることが大好きなので、食品会社に入って、ママと子どもに愛される食を届けたい」
僕のまわりで、こんな想いを抱いて就職先を決める若い人が増えています。20年前、僕の世代が就職活動をしていた頃には思いつきもしなかった考え方です。その当時の学生が持っていた志望動機と言えば、
「初任給はそこそこだが、マネジャークラスになると年収1000万円も夢ではない」
「3年我慢すれば、海外支店駐在のチャンスがある」
といったことが代表的なものでした。
ところが今は、もはや冒頭の声に代表されると言ってもいいほど、就職を控えた学生が仕事や企業に求めるものは変わってきています。仕事を通じて、何か社会によいことをしたい、同じような想いを持つ仲間と切蹉琢磨したい、これこそ、今の若い人たちが求めていることなんじゃないだろうか。乱暴なまとめ方かもしれませんが、僕はそう感じます。
これから社会人になろうという学生がそう考える一方で、誰もが知るような大企業で社会人としての一歩を踏み出した優秀な若い人たちからは、
「年初の全社ミーティングで、『売り上げ対前年比10%アップを目指す!」とハッパをかけられたけど、それは誰のため、何のためなのか、それを実現したらどうなるのかがわからない」
「はっきり言って、何を目指して毎日仕事に向かえばいいのか見えてこない」
といった声が漏れ聞こえてきます。「何のための仕事か?」を問う不満の声です。
こうした若い人の本音から見えるのは、彼らが会社に期待することや仕事を通じて実現したいと思っている「未来予想図」と、企業が実現しようとしているそれとの間には、大きな隔たりがあるということにほかなりません。そしてこの溝が埋められないがゆえに、企業は才能ある若手を活かしきれず、彼らは企業に失望して社外に夢の実現の場を求めるようになるのです。
でも、ちょっと待ってください。これって本当に埋められない溝でしょうか? 解決できない課題なんでしょうか?
僕は違うと思います。現に、誰もが知っている日本企業で、本業のビジネスを通じて社会の役に立つことを実践している会社、そしてそれが若い社員をハツピーにしている会社はあります。本書でお伝えしてきた通り、Winの累乗を見事に作っている企業はいくつもあるんですから。
大塚製薬のポカリスエットがインドネシアで爆発的に売れているのを、みなさんは知っていますか? 進出当初こそ苦戦していたそうですが、ここ数年は急激に売り上げを伸ばしていて、国内の売り上げを追い抜きそうな勢いなんだとか。
この成功の理由は2つあります。一つは、現地の販売促進員が学校や病院をこまめに訪問し、ポカリスエットが熱中症やデング熱などの予防になることを地道に訴え続けたこと。もう一つは、日中に食べ物や水を口にしないイスラム教のラマダン(断食月)の最中、日没後に最初に口にする飲料として推奨したことです。この働きかけがインドネシア国民に徐々に受け入れられていき、確実に売り上げを伸ばしたのだそうです。
この話は、次のように言いかえることもできます。
赤道直下にあり熱帯特有の病気に悩まされる人が多く、また世界最大のイスラム教国でもあるインドネシア。その地において、こうした現地の文化や風土に配慮しながら、地域コミュニティにWinをもたらす戦略をとったことが、ポカリスエットの成功のカギであった、と。
僕はこの話を知ったとき、鳥肌が立つ思いでした。純粋に感動したんです。だって素晴らしいと思いませんか? 中学生の頃、夏の炎天下で部活の合間に飲んだあの冷たいポカリ、扁桃腺が弱く頻繁に高熱を出す僕に母親が買ってきてくれたあのポカリが、遠くインドネシアの地で人々の命を救い、健康を守っているなんて。大塚製薬の社員でなくても、誇らしく自慢したくなる話じゃないですか。僕は嬉しくて、TFTの事務所に手伝いにきてくれる学生たちに片っ端からこの話を聞かせました。すると彼らは一様に、
「いいなあ、僕もその現地販売員として派遣してほしいです」
「すでにあるもので、そういう『世の中を助ける』商品ってまだありますよね。そういう商品を探したいです」
「それって社員のアイデアなんでしょうか。そういう部署って他の会社にもあるんでしょうかね?」
というように、非常にポジティブな反応を示したのです。
第二、第三のポカリスエットは、まだたくさんある気がしませんか? 僕たちの身のまわりにある商品やサービスで、発想と提供方法を変えれば、「社会をよくする」可能性のあるもの。僕は日本企業が作る、社会をよくする製品は数え切れないほどあると信じています。
そしてこの発想と提供方法の転換のための考え方こそ、本書を通じてお伝えしてきた「Winの累乗」なのです。僕たちTFTの活動に参加いただいている500社の中にも、日本、そして世界の人たちにとっての、いわば「ダイヤの原石」を持つ企業はたくさんあります。
自社だけではなく、取り巻く環境すべてにWinを作ろうという経営の姿勢は、現在・将来の社員に支持されるだけではなく、今や進出した新市場での成功につながる要因の一つになりつつあります。
2012年7月、自動車メーカー、スズキのインド子会社の工場で暴動が起き、多くの死傷者が出るまでに至りました。暴動の引き金となった原因はこの原稿を執筆している時点ではいまだ不明ですが、何にせよ現地従業員の間に不満がたまっていたことが背景にあったのは事実でしょう。スズキ側は原因が究明されるまで工場の操業を停止する予定だそうで、その損失は一日当たり8、9億円と推測されています。
この事件の解決策は、おそらくインドをはじめとする新興国で事業展開を進めている日本企業にとっての試金石となるのではないでしょうか。さらにこの事件が示すのは、従来はよしとされてきた日本から人件費の安い新興国に生産拠点を移し、日本人社員を現場監督として派遣して現地人スタッフを採用し、モノを作らせる、というやり方がもう成功を約束しないということでもあります。Winの累乗を作りきれない企業は、グローバル競争の市場からはじきだされてしまう、と言っても過言ではないでしょう。
取り巻く環境すべてにWinを作る。壮大すぎてどこから始めてよいかわからないと思う人もいるかもしれません。でもそれは、社員と企業がそれぞれ描いている、「未来予想図」の間にある溝を埋めることから始められる。僕はそう思います。
まずは身のまわりにあるさまざまな社会問題に、もっと関心を持つこと。経営者、管理職の方であれば、部下の若手社員に、今どんな社会問題があるのか、その中で彼らが興味を持っているのは何か聞いてみてください。彼らは本当によく知っています。その中には、自社の製品、サービスを使った解決方法をすでに導き出している人だっているかもしれません。企業は利益さえ出していればいい、などと言わず、どうか身のまわりの問題にも目を向けてください。
そして若い方には、「うちの会社じゃあ、本業を通じての社会貢献とかCSRなんて言っても、目の前の仕事に集中しろと一蹴されます」なんて、最初から諦めないでもらいたい。Winの累乗を生み出すような未来予想図を描くことは、「企業」という概念上の人格だけに任された仕事でも、経営者だけの仕事でもありません。「企業」を作っているのは、ほかならぬ社員であるみなさん自身です。みなさん自身が声を上げ、誰かの役に立とうと行動を起こすことで、企業自身の「ナビ」を設定することができるのです。
勇気を持って立ち上がり、行動を起こしてください。そしてこの本がその一助になれば、僕にとってそれほど嬉しく、幸せなことはありません。
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by sogyo-syuppankai
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